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渡英3年目の決意とあいみょん

今日で1月も終わり。日本に一時帰国していた年末年始があまりにも慌ただしすぎたせいか、1月は割とゆっくりと時間が過ぎていったような気がする。週末に家族で出かけることはあっても、平日にひとりで遠出することはほとんどなく、日常の買い物や散歩で外に出るくらいで、私にしてはのんびりと過ごした1か月だった。

年末年始の一時帰国は、我ながら予定を詰めすぎた。家族や友人に久しぶりに会えて、本当に嬉しかったし楽しかった。何を食べても美味しいし、どこへ行っても綺麗だし、日本語は通じるし、快適そのものだった。けれど、とにかく毎日が忙しすぎて、誰に会って何を話したのかもはっきりと覚えていないくらいで、東京→奈良→大阪→新潟→大阪→東京とあちこち移動し駆け抜けた2週間だった。あまりに駆け抜け過ぎてしまい、ひとつひとつのできごとを自分ごととして自分の中で消化することができないまま、時間だけが過ぎていったような感覚を抱いていた。

そのせいだろうか、日本からイギリスに戻る飛行機の中で、初めての感覚があった。それは、機内のモニターでひとつの映画を観終えた後、何気なくフライトマップを見て、ロンドンヒースロー空港までの残り所要時間が「5時間」と表示されたときのことだった。羽田からロンドンまでの所要時間は約15時間で、残り時間が5時間ということは、もう3分の2までロンドンに戻って来ているということで、ついさっきまで私は日本にいたはずなのに、日本の地を踏んでいたはずなのに、あと5時間後には、私はイギリス、ロンドンの地を踏むことになる。自分の足は、トイレへ行く以外は全く動かしていないのに、もうイギリスに着いてしまう。自分の力ではどこにも進んでいないのに、いつの間にか海を越えてアラスカも北極も越えて、私の体はイギリスに戻ろうとしている。そう思ったと同時に、日本で過ごした2週間が夢だったんじゃないかと思えてきた。あんなに楽しくて濃密な時間が現実に起きるはずがない、とでもいうような、ある種の強迫観念のようなものに襲われた。それは、夢から醒めたくない、現実生活に戻りたくない、という無意識の願望だったのかもしれない。体はイギリスに戻っても、心は日本にまだ残っていたのだろう。体が移動するスピードに、心が全く追いついておらず、あいみょんが歌うところの「心と体がケンカして」という状態だったのかもしれない。

そんなことを感じながら、私はロンドンに戻ってきた。夫は帰国翌日から、こどもたちは帰国2日後から、それぞれ仕事と学校が始まり、いつも通りの日常へと戻っていった。しかし、専業主婦である私には、これといった日々のルーティンがあるわけでもないため、ゆるゆると自分のペースで過ごし、時差ぼけのせいもあってか、なんとなく現実に戻れていないような感覚のまま日々を過ごしていた。心のどこかで、やっぱりあの楽しい時間は夢だったんじゃないかと感じていた。しかし、目の前には日本で大量に買い込んできた食料品や、家族や友人がくれたプレゼントがあって、それらが私に夢じゃなかったことを悟らせる。でも、やっぱりなんだか現実味がないような感覚は払拭できないでいた。

そんな状況だったせいか、今までは週に一回か少なくとも2週間に一回くらいは、友人と会ったり、ひとりで街に出たりしていたのだけれど、あまり外出したり、友人に会いたいという気持ちにならなかった。それはきっと、心のどこかで、ロンドンに戻ってきた自分を、裏を返せば、日本にいた自分を受け止めきれていなかったからなのかもしれない。自分の家に帰って来た、という感覚だけはしっかりとあるのに、それ以外は全て日本に置いてきたままの自分を。しかし、先週くらいから、日本で過ごした年末年始の2週間が現実のものであることを、しっかりと受け止められるようになった。ようやく、心が体に追いついてきたのだろう。追いつくまでに3週間くらいかかったことになる。私の心は、自分の足で歩くのはムリだと察し、船でぶっ飛ばしてきたくらいのスピードで、ロンドンへと戻ってきたのだ。おかえり、私の心。

そんな風にして1月を過ごした私は、今年は今までとは少し違う日々の過ごし方をしようと決めた。今までは、せっかくロンドンにいるんだし、時間やお金が許す限り(それがなかなか許してくれなかったりはするんだけど)、いろんな場所を訪れたり、イギリスならでは欧州ならではの経験をしよう!と息巻いていた。有名な観光スポットやデパートを訪れたり、どこどこのなになにが美味しいらしい、と聞けば食べに行ってみたり、インスタで面白そうな場所を見つけたら真似して行ってみたり。しかし、この1ヶ月間、そういうことを全くしないで過ごしてみて、気づいたことがあった。私が本当に求めているのは、そういう類の“非日常を追い求める生活”ではなく、“土地に根付いた日々の暮らし”だと気がついたのだ。それは、近くの公園を歩くことで気がつく季節の移ろいや、毎日顔を合わせる隣人との挨拶、地域の中での自分の居場所、そういうものだ。それがあるだけで、十分足りているじゃないか、と。そして、それをじっくりと味わうためには、しょっちゅう街や観光地に繰り出していはいられない、ということに、ようやく気がついたのだ。だから、渡英3年目の今年は、一人の時間にあえて電車に乗って遠くへ出かけることはせず、自分の足で歩いて行ける世界に改めて目を向け、耳を傾け、匂いをかぎ、味わい、触れていきたいと思う。
と、言いながらも、やっぱり美術館とかは行っちゃうんだろうけど。相変わらず“矛盾ばっかでめちゃくちゃ”な私です、あいみょん。