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見えないことで、見えるもの

朝、ベッドで寝転がりながら窓の外を眺めていた。
風が吹いて、木の枝が揺れていた。
今朝は薄曇りの天気だったけれどほのかに光もさしていて、
枝のゆらぎが、ブラインドの隙間からぼんやり見えて、とても美しいと思った。

けれど、眼鏡をかけてもう一度見てみると全てがはっきりと見えてしまい、
さっき見た美しいゆらぎは消えてしまっていた。
撮影してみても、それは同じだった。

よく見えないことで、初めて見えてくる美しさ、というものもあるようだ。

でも、やっぱり目が悪いと不便なことの方が多いけどね。

今日は朝から耳の奥が痛くて、頭も重くて、一日中ベッドで寝ている。
今も、ベッドで寝ながらこれを打っている。
そんな日もあるよな、と思いながら、せっかくの休日なのに、体調不良で機嫌の悪い妻で、母で、申し訳ないとも思う。
でも、そういう日の私は、とことんだめなのだ。
そういう日の私が、直接的なコミュニケーションをとる、つまり、目の前の人と話そうとすると、イライラして、攻撃的になってしまうのだ。特に家族には。
そうなるくらいなら、ベッドで寝ている方がまだマシだろう。

今、夫とこどもたちが出かけて行った音が聞こえた。
さっきまで、ゲームをしている声がうるさいな、と思っていたけれど
出かけてしまうと、とたんに静かになり、聞こえるのは風の音だけ。

その風に吹かれて、また、枝が揺れている。
眼鏡なしで見る窓外のゆらぎは、光る水面のようにも見える。

目を閉じると、今度はまぶたの奥に波紋が見える。

きれいな海で、泳ぎたいなぁ。