あの人の物語、聞いてみよう。Vol.3 小島匡人さん
🌝月曜日のしょうこ🌝インタビュー
「あの人の物語、聞いてみよう。」
第三回のゲストは、スプリントコーチの小島匡人(こじままさと)さんです。
匡人さんは現在、ロンドンにある日系サッカークラブでスプリント(短距離)を指導するコーチとして働いています。
学生時代には選手として活躍されていた匡人さんがコーチを志した経緯や、これからの目標についてお伺いしました。
小学4年生から陸上競技を始める
―いつから陸上競技を始められましたか?
小学 4 年生から始めて、大学 4 年生まで13 年間、競技を続けていました。
小さい頃はプロ野球選手になるのが夢だったんです。でも、少年野球チームって親のお茶当番があるじゃないですか。あれが面倒だから「(野球は)中学の部活からやって」と母に言われ、チームに入れてもらえませんでした(笑)。
そのときに、友人から「地域の陸上チームに入らないか」と誘われ、親からも「スポーツは何でも走りが大事だから陸上をやるのはいいよ」と言われたので、チームに加入したのが始まりです。結局、中学でもそのまま陸上競技を続けました。
小学生の頃は、短距離も長距離も両方やっていましたが、中学からは短距離だけに種目を絞りました。
―なぜ 短距離を?
短距離は幼い頃から割と得意で、地元では負けたことがなかったので。長距離はしんどいので大嫌いでしたね。中学校の頃は幅跳びもやったんですけど、砂がつくのが嫌いで、これはやりたくないなと(笑)。
高校ではサッカーをやりたかったが…
中学生の時に全国大会にも出ましたが、「高校では陸上競技よりもサッカーをやりたい」と思っていました。でも、勉強があまりできなかったので、陸上で推薦をもらうしかなくて。結局、スポーツ推薦をいただいて、千葉の東海大浦安高校に進学し、寮生活をしました。
ちなみに、部活終わりには毎日みんなでサッカーをしていましたよ(笑)。
ーサッカーをやりたかった気持ちは、部活後に晴らしていたわけですね(笑)。
同級生の意識の高さに、刺激をもらう
―高校での部活生活はどうでしたか?
中学生まではがむしゃらに頑張っていれば、ある程度のタイムは伸びていました。しかし高校生になってから、いくら練習してもタイムが伸びないと感じた時期があって。
同じ高校に隣の中学出身の子がいて、中学生の頃は、その子に全然負けていなかったんです。でも、高校に入って、徐々に負けるようになり、「なぜだろう」と考えて、その子を観察するようになりました。彼は部活の練習とは別に、自主的に朝練もしていたんですよ。彼の普段からの意識の高さに、「これでは自分は負けるな」と痛感。周りの良いところを真似して、いろんな人の話を聞きながら、徐々に自分の意識を高めていきました。
あとは、「夏のインターハイに出て優勝したい」という目標があったから頑張れたというのもありましたね。結局、インターハイに出場したものの、入賞はできませんでしたが。
大学でも陸上競技を続けたものの…
大学はそのまま東海大学に進学。学生のうちは競技に打ち込んでいましたが、卒業後の進路選択にはかなり悩みました。選手として競技を続けていくかどうか、続けるなら大学院に行くのか、海外に留学するか、働きながら続けるのか。
いろいろ考えた末に、やはり陸上以外にやりたいことはなかったけれど、一度、競技から離れて社会を経験しようと決め、就職する道を選んだんです。
ちなみに、大学では保健体育の教員免許を取ったので、母校(東海大浦安)の陸上部顧問になって「母校をもっと強くしたい」と考えたこともありました。結局、ご縁がなかったんですが。
―競技を離れようと決めた理由は何だったんですか?
大学同期の中には、東京オリンピックや世界陸上に出た仲間がいたけれど、僕自身はそのレベルで戦える選手じゃなかったからです。迷いながらダラダラと競技を続けていても、成長できる気がしませんでした。
―大学卒業後も陸上選手として続ける人はどのくらいいるのですか?
僕の大学陸上部同期は短距離だけで約 20 人いましたが、卒業後も競技を続けているのは2・3 人です。
サッカーや野球などと比べると、陸上は儲からないスポーツなので、お金をもらって競技を続けられる選手はほんの一握り。日本人だと、桐生祥秀選手や山縣亮太選手レベルの数人くらいでしょうか。
ー厳しい世界ですね。
社会を経験したからこそ、気がついた未練・新たな目標
―社会人になられた時は、どんなお仕事をされたのですか?
特にやりたいこともなかったので、待遇が良いところという理由で、不動産系の会社に就職しました。
1 年間サラリーマンを経験しましたが、やはり陸上競技に未練がある自分に気がつき、このまま働き続けていくのはきついなと感じました。
もともと、陸上選手として自分の目指していたところが「オリンピック出場」だったのですが、どう頑張っても出られなかったことが、コンプレックスとして残っていたんですよね。
でも選手として再チャレンジするのはもう厳しい。それならば、今度はトレーナーやコーチをやってみたい、という気持ちが湧いてきました。
30 歳までは新しいことに挑戦すると決めて1年で会社を辞め、スポーツジムでトレーナーとして働きはじめました。空間全体を低酸素(富士山の 6 合目くらいの酸素量)にして、高地トレーニングの環境を作っているジムです。
そこでスプリント(短距離)トレーナーとして、小学生からサッカー選手まで幅広い層の方に、走り方を教えていました。ジムで働きながら、NSCA-PTAとNASM-CPTというパーソナルトレーナーの資格も取りました。
トレーナーとして苦労したこと
―自分が走るのと、人に走り方を教えるというのは、全く違うものですよね?
そうですね。
例えば、「弾むように走って」と言うと、ピョンピョン飛び跳ねてしまう子がいます。そこで今度は「小刻みに弾みながら、足を速く回して走るんだよ」と伝えると、逆に足をバタバタさせて走ってしまう。
そのあたりの塩梅を伝えるのが難しいですね。
ー走ることって意識しなくてもできてしまうからこそ、細かな違いを言葉で説明するのが難しいですね。
言葉でうまく伝わらない場合は、僕がデモンストレーションを見せて、自分の中にある感覚を、なるべく相手にわかりやすく伝えるように意識していました。その場で走っている動画を撮影して、それを見せながら指導することもあります。
感覚を理解してもらうのが難しい場合には、レベルを下げて、簡単な動きから少しずつ意識してもらうなど、相手に合わせた工夫が必要。それでもすぐにわかってもらえるわけではないので、「どんな意識で練習をすればいいのか」という点でもアドバイスをしながら、徐々に理解してもらいます。
―陸上競技の指導で成果が見えるとなると、やはりタイムでしょうか?
それに尽きますが、試合にもよりますね。
中学生、大学生、大人の場合は、参加標準記録※を切らないと、全国大会などの大きな大会に出場できないので、タイムが重要。でも、高校生の大会は勝ち上がり方式なので、正直、タイムが速くなくても勝っていけば上の大会に出ることができる。そういう場面では、試合に勝てる(結果を出せる)勝負強さも必要です。
(※主要大会への出場資格が得られる目安となる数値)
勝負強さの鍛え方
―勝負強さはどうやって鍛えるものですか?
自信をつけるためには、普段の練習や日常生活からの意識づくりが大切だと思います。僕の場合は、例えば階段を上る時に、しっかりとお尻で地面を押しながら歩くように、と心がけていました。
また、気持ちの面では、トイレの個室が 3 つあったら、誰かが先に入っていても「絶対に真ん中を使う」と決めていた。表彰台って真ん中が一位じゃないですか。だから「絶対に真ん中、一番を取るぞ」という意識を常に持っていました。今考えるとしょうもないですが(笑)、当時は勝ちたい一心でしたから。
ー男子らしい発想が可愛いですね(笑)。
あとは、コーチとの信頼関係も重要です。コーチからのアドバイスや練習を信じて練習に励んでいました。
サッカー選手へのスプリント指導を学びたい
―なぜイギリスに来ようと思ったのですか?
会社を辞めると決めたときに、将来的には、スプリントコーチの勉強のためにアメリカに行きたい、その前にワーホリで海外に行き、英語を勉強したい、と考えるようになりました。
オーストラリアやカナダという選択肢もあったのですが、イギリスはサッカーが強い国なので、サッカー選手へのスプリント指導を学ぶために、イギリスを選んだのです。
ジムで様々なスポーツ選手に対して走り方を教えている中で、他のスポーツに比べて、サッカーが一番走る時間も距離も長いので、スプリント力を活かせるスポーツであると感じていましたから。
イギリス行きを決めた後に、働いていたジムのお客様から、ロンドンにある日系サッカークラブ「フットボールサムライアカデミー(以下、サムライ)」を紹介してもらいました。
今年(2024年)の6月からロンドンに来て、現在は、サムライのトップチーム「ロンドンサムライローヴァーズFC」のスプリントコーチとして働いています。
主にチーム全体に向けたスプリント指導を行っていますが、練習後に選手と一緒にジムに行って、ウェイトトレーニングをすることも。キーパーの個人練習に付き合ったりもするのですが、高校生の頃、練習後にいつもサッカーをして遊んでいた経験が、意外とそこで活きていますね(笑)。基本的には個人へのトレーニング指導が多いですが、チームとして、相乗的に成果が上がっていくことを期待しています。
また、アカデミーのこどもたちに向けても、走り方の基礎を教えるスプリントセッションを行っています。僕のセッションを通じて正しい体の使い方を身に着け、速く走れるようになることで、「スピードで相手をかわしてゴールを奪えるかも」「強い相手に勝てるかも」「プロサッカー選手になれるかも」という自信を持ってもらいたいという思いで、指導しています。
―陸上選手とサッカー選手への指導は違いますか?
全然違いますね。サッカーをやっている人は、走り方について指導された経験が少なく、基本的な走り方を知らない分、伸びしろが大きい。
例えば、100mを 11 秒で走る陸上選手をさらに速くするのは結構難しいのですが、12 秒で走るサッカー選手をさらに速くする方が正直、簡単です。
サッカーをずっとやっている人は、ドリブルする時の走り方はなんとなく身についていますが、その走り方で普通に走ってしまうと、変な走り方のクセがついてしまう。ボール持っていない時のきれいな走り方を覚えれば、ドリブルをする時にも、自然とうまく速く走れるようになるんです。
―これまでのサッカー選手の中でスプリントコーチをつけていた方はいるのでしょうか?
フットボールサムライアカデミーの校長である吉田麻也選手は、スプリントコーチをつけていました。同じ方が、現在サウサンプトンに所属している菅原由勢選手のコーチをしているそうです。
日本でも、スプリント専任コーチを雇うチームが出てきているので、これからスプリントコーチがさらに増えてくるかもしれませんね。
速くなりたい全ての人をサポートしたい
―今後の目標はありますか?
ロンドン市内に、陸上競技に強く、設備も整っている大学があるので、まずはその大学院に通いたい。来年9月に入学したいのですが、そのためには、IELTSのスコアがある程度必要になります。しかし、今のレベルでは厳しいので、まずは英語の勉強を頑張らなくてはいけません。これからオンラインでの勉強を始めるつもりです。
イギリスでの勉強を終えたら、その後はアメリカへ行き、スプリントコーチ養成所でのインターンを経験したい。将来的には、スプリントに特化したスポーツジムを経営したいです。
「速く走れるようになりたい」と思っても、どんなトレーニングをすればよいのかわからない人が多い。そういう方に向けての練習メニューを提供したいなと考えています。陸上競技をする人だけでなく、サッカー、野球、いろんなスポーツをする人、こどもから大人まで「とにかく速く走りたい人」に来てほしいですね。
スプリントコーチの勉強をしている中で「こういう練習を知って実践していれば、自分はもっと良い結果を残せたのかもしれない」と感じることがあり、今でも「もっと速く走りたかった」と思っています。
だから、これからは過去の自分のように「もっと速くなりたい」と思っている人をサポートしたい。そして「速く走れるようになる」ことで自信をつけ、さまざまな人生の可能性を広げてほしい、と願っています。
匡人さんのInstagramアカウントはこちら↓
編集後記
実は、私も中学高校と陸上短距離をやっていたので(全然速くありませんでしたが…)、匡人さんのお話に何度も頷くところがあり、とても楽しくお話を聞かせていだきました。
一度、社会人を経験したことで、陸上選手としての未練に気づき、コーチという異なる立場から心残りを晴らそうと決意した匡人さん。その決断に至るまでには、このインタビューでは伺いきれないほどの悩みや葛藤があったのだろうと感じました。
匡人さんのスプリントセッションでは、こどもたちはとても活き活きとした笑顔で走っています。匡人さんの熱い想いは、しっかりとこどもたちに伝わり、セッションを見ていた私にも伝染。
「私ももっと速く走れたらな」と感じたことは、ここだけの話です。
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言葉で自分を再発見。
散りばめられていた出来事を物語にする
インタビューライター
カリアゲしょうこ