天皇陛下と私とイギリス 『テムズとともに』
天皇陛下が、皇太子時代のオックスフォード留学の日々を綴られた「テムズとともに 英国の二年間」を読んだ。本書は、1993年に初版が発刊され、その後絶版となっていたが、今年の春、学習院創立150周年記念として新装復刊されたものである。
と、さも初版の頃からその存在を知っていたかのような口ぶりで書いているが、私がこの本の存在を知ったのはつい2ヶ月ほど前のこと。そのきっかけをくれたのは、窓越しのメアリー、そう、お隣のアパートに住むおばあちゃんである。イギリス人である隣人のメアリーが、なぜ天皇陛下の御本を拝読するきっかけとなったのか。
それは、先日メアリーの家を訪れたときのこと。いつものように彼女の家にお茶に呼ばれ、娘と2人で伺った。メアリーの淹れてくれるティーをいただきながら、たわいもない日常の話をしていた。私の英語力では、彼女の話す英語の全てを聞き取り理解することはできないけれど、わかる部分およびそこから想像する内容に対して、私はうんうんと相づちを打ち、会話らしきものを成立させている。成立していると言っていいものかどうかは、判断はしかねるが…
そして、メアリーがオックスフォードでハウスキーパーをしていた頃の話になり、戸棚から一冊の本を取り出して私の手元に持って来てくれた。それは、彼女が働いていたお屋敷の主が、その生涯について書き記したものだった。その主は、エリザベス女王に武官として仕えたこともあるトム・ホール大佐。その方の所有するお屋敷で、以前メアリーはハウスキーパーとして働いていたのだった。その本を読むともなくめくっていると(速読できるほどの英語力がないゆえ)、パラパラ通り過ぎてしまったページに、見覚えのある顔があったような気がした。そのページに戻り、もう一度よく見てみると、なんとそれは天皇陛下の若かりし頃のお写真であった。同じ見開きページには上皇上皇后両陛下のお姿もあった。なぜ、この本に日本の皇室の方々のお写真があるのだろうと不思議に思って見ていたら、メアリーが「私が働くよりもずっと前のことだけれど、天皇陛下(当時は皇太子殿下)がホームステイされていたことがあるのよ。だから、陛下のご両親もその時に訪ねて来られたそうよ」と教えてくれた。そのページを読んでみると、天皇陛下がホール邸で過ごされた日々のことや、皇室の方々との交流について述べられていた。
天皇陛下が、若かりし頃にオックスフォード大学に留学されていたことは、なんとなくは知っていたけれど、大学入学前にホームステイされていたことは知らなかった。しかもそれがまさかメアリーが働いていたお屋敷だとは。なんたる偶然。その日、メアリーの家から戻った私は、Googleでトム・ホール大佐のことを調べてみた。その中で、「The Thames and I」という本の一部抜粋が掲載されたページを見つけた。それを読んでみると、どうやらその著者は、天皇陛下ご本人のようであった。その時点で、私は初めて天皇陛下がオックスフォード留学時代のことを書かれた御本が出版されていること、その日本語訳というか原書が「テムズとともに」というタイトルであることを知ったのである。そしてなんと、長らく絶版となっていたその本が、今年の春に学習院創立150周年記念として復刊されていることも、同時に知ったのである。私は別に皇室ファンというわけではないけれど、一日本国民として、天皇陛下や皇室の方々への崇敬の念はある。また、現在暮らしているイギリスにも王室があり、ロイヤルファミリーの話題は意識せずともよく目にするが、その在り方には、日本の皇室との違いが感じられ、興味深く見ている。そんなこともあり、天皇陛下が留学された際の様子を自らのお言葉で書かれた本の内容が気になり、読んでみたくなった。ちょうど、日本にいる母が、こどもたちの誕生日プレゼント用に近日中に本を贈ると言ってくれていたので、私からのリクエストとして「テムズとともに」も同封してほしいとお願いをしたのだった。
そういう経緯で、私はこの本に出会ったのだ。この本を通じて、私は天皇陛下を非常に身近な存在と感じるようになった。それは、日本からイギリスへやって来た者なら誰しもが同じように感じるであろう”山のある風景“への郷愁(“山シック”と陛下は書いておられた)、クリケットの難解さ、隙間風だらけのイギリスの家の冬の寒さ、床に平然とマグカップを置くことへの違和感など、私がこれまでの英国生活において感じてきた様々のことを、同じように感じておられたのだと思うと、遠い遠い存在であった天皇陛下が、急に同志のように感じられるのだった。天皇陛下を同志だなんて言うことはおこがましいとは思うけれど、素直にそう思ったのだ。
そして、私がイギリスと日本において、最も異なる感覚の1つであると感じてきた“光”に対する捉え方について、陛下が同じような意見をお持ちだったことに、私は何より共感し、身近に感じたのだった。暗くて長い長い冬があるからこその、光に対する憧れとでもいうほどの渇望、ダフォディル(黄水仙)やクロッカスが咲き乱れる春の訪れの喜び、そうしたイギリス人および英国に住まう人々が抱く感覚は、イギリスに住んでみなければわからないものだろう。そしてその感覚を体感した者同士が抱くと思われる連帯感のようなものを、私は天皇陛下と共有しているのだと思うと、なんだか不思議な気分になるのだ。共有している、と思っているのは、もちろん私の一方的すぎる感覚なのだけれども。
また、「テムズとともに」には、日本では体験し得ない様々のことを陛下が経験された様子が仔細に述べられている。それは、洗濯機で洗濯をする、銀行へ行く、カードで買い物をする、パブでビールを注文する、友人と連れ立ってでかける、といった一般庶民の私たちからするとごく当たり前のこと。皇太子、天皇という抗いようのない宿命を背負って生きておられる方には、私たちにとって当たり前のことが特別なことであり、何不自由ないように見える生活が本当は不自由であるということを、この本を読むことで改めて知ったのである。最後の章で陛下は「私が、楽しく----おそらく私の人生にとっても最も楽しい-----一時期を送れたのも…」と書かれていた。この一文に、陛下かオックスフォードへ留学されたことがどれだけ特別なことであったか、その経験がどれほど陛下のその後の生活の支えとなったのかが伺われ、少し切ないようなほっとしたような、なんとも言えない気持ちになった。私ごとき一庶民の同情なんて、天皇陛下にはなんの助けにもならないが、多くの人がこの本を読むことを通じて、ひとりの人間としての天皇陛下を少しでも身近に感じることは、意味があることのように思えた。
イギリスに暮らして2年半の歳月が過ぎた。2年が過ぎてようやく地に足がついた生活ができるようになったと感じている。そんなタイミングで、この本に出会ったことには、なにか意味があるような気がする。いや、それ自体に意味はないかもしれないが、意味を持たせられるかどうかは、私次第なのだろう。まずは、「テムズとともに」と出会うきっかけをくれたメアリーに、この本について紹介しようと思う。奇しくも明日は、メアリーの80歳のお誕生日。お花とカードを持って、訪ねてみよう。