顔面神経麻痺生活メモ240日目
数字は大体の日数です。早いものでもう年末。春からもう年末。三つの季節が過ぎていきました。
途中からあまり変化もなく、書くこともなく……。そもそも書く気力がなかなか湧かない程度にはしんどいです。たまに夜中に泣く。
そんな感じで、現状を書いてみようかと思います。
第8話 そろそろ絶望の時
タイトルが不穏。まあでもそんな感じ。なったことがある人ならわかると思うが、ちょっと動くようになってからの変化がほとんどない。リハビリも、鏡に向かって顔を動かすので、正直しんどい。自分の顔なんて見たくない。
そして、周りの反応。最初は目の病気ではないということを、会うたびに説明する。見えているのに、瞼が動かないから眼帯をしている、という状態は健康な人には理解し難いようだ。当たり前である。普通こんな経験しないし、しない方がいい。
そして数ヶ月経つ頃から、まだ治らないのですか? という、親切だが非情な言葉がかけられるようになる。早くて1年と言われたと最初に説明したことなど、当然覚えているわけもない。人の病気にそんなに興味がある人間はいないのだ。そしてまた説明。説明。説明。半年後もまた繰り返し。いい加減慣れて欲しいと正直思うが仕方ない。仕事相手とは良好な関係を保ちたい。笑顔で何度でも、笑い飛ばしながら説明する。後遺症が多分残るから、整形するかもしれません、と。
夏は、眼帯は汗との戦いだった。痒いし蒸れるし。目薬指すたびにはがすとつかなくなるし。でも、耳掛けタイプはメガネやマスクと干渉するから、無理。後ろで紐で結ぶタイプはだいぶいいが、厚みがあるのでメガネと干渉する。誰か、かっこいい眼帯を作って欲しい。厚みのないやつ。
これはだいぶよかった。貼る時の圧迫感がなくて楽。一つ持っていると重宝すると思う。もう少し平らならなおよかったが。
もう一つ困ったのが、発音。口が半分動かないので、聞き取りづらい言葉になってしまう。毎日発声練習するのは必須。ういろう売りおすすめ。特に電話越しやリモート会議の時はかなり意識して発音しないと聞き返されてしまう。
あえいうえおあお、でもいいから、朝の5分を割くだけでも全然違う。自分ではちゃんと話せているつもりでも、伝わらないことがあるので、これからなった人のために書いておく。毎朝発声練習はやれ。
そして、現在。長引くと一番出てくるのが、周りの人の介護疲れ。
実際に介護しているわけではないが、絶対に気を遣っている。家族は自分にできることはないかと考えている。そして疲れてしまうのである。
親しい人とは、なるべく距離をとった方がいい。家族とは少し離れた方がいい。食事風景はなるべく見せるな。リハビリもなるべく見せるな。無理しても笑え。
自分が気を遣っていることを気づかせずに相手に気を遣わせるな。それでも相手はものすごく気を遣っている。将来に不安を抱えている。本人以上に悲観している。当たり前だ。先が見えないのだから。
立場が逆だったらそうだろう? 心配しすぎるほどするだろう? そういうことだ。
なってしまったものは仕方ない、でなんとかしようとできるのは本人だけだ。
それでも。夜中にひとり泣くこともある。どうして俺だけ、と思うこともある。食べ物がいまだにうまく食べれず、飲み物もやっとコップでゆっくり飲める。下瞼から上唇のあたりまでは全く動かない。なんだったら、共同運動で口と目が同時に動く。
最近は抑えようとしているのか、しょっちゅう上瞼とか上唇がびくびくとし、違和感を感じる。動かなかった時よりずっと不安だ。
そんな感じで年越しをする。正直、もう疲れた。でも周りはもっと疲れている。わかっているんだ。
でも……。
少しだけ泣かせてくれ。
つらいよ。