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もしも性被害にあってしまったらして欲しいこと、の補足(心の回復について)

前回の投稿についてたくさんのスキやメール、応援をありがとうございました。長いファンの方々には知ってもらっていた話ではありますが、あと少しわたしの中で越えられなかった恐怖感を、やっと突破できました。

前回の最後の目次に「もしも近しい人が性被害にあったらして欲しいこと」というのを書きました。もう少し書きたいと思います。もちろん当事者でまだ苦しいと感じる方にも、わたしの体験からの話ではありますが、なにか参考になればと思います。


平気かもと思っても

できるだけカウンセリングに行ってください。
交通事故と同じで、後からダメージが出ることがあります。

カウンセラーさんや病院の回復のための治療方針は、それぞれで相性もあります。違うなと思ったら無理せず次を。

心療内科は薬を出しておしまいのところも多いです。お薬は慎重に…。落ち着くならいいと思いますが、合わないと逆に辛くなったりします。PTSDで休業する際、近所の心療内科へ行きましたが、そこでは話もたいして聞かずに強い抗うつ剤の処方がなされました。飲むと視界がぐるぐる回って起き上がれなくなってしまい「このままではかえって寝ついてしまう」と危機感を覚え別の病院を探し、軽い安定剤に切り替えたことがあります。

心理学が学べる大学には相談窓口があったりします。料金もさほど高くないですが、場合によっては院生が対応することもあるようです。問い合わせてみてください。

民間のカウンセラーさんから選ぶのはなかなか難しいですが、ただ説教する、本人が病んでいそう、期間を引き延ばす、といった避けた方がいいタイプも多いので、何度か受けて合わないかもと思うようなら次を探していいかと思います。最初のうちは押さえていた怒りが出て、カウンセラーさんにそれが向かってしまうことがあるので、少しの間は「合わない」のか「掘り起こされている」のか様子を見るといいかもしれません。
わたしがお世話になったカウンセラーさんは後述します。

特に気をつけて欲しいこと

命を絶たないように、が最重要ですが、それだけではなく自分の体を傷つける自傷行為が性衝動として出ることなどもあります。鬱の形もそれぞれだと思いますが、わかりやすい形で出てくるとは限らないので、気をつけていてください。知人男性は女性に襲われたために長いあいだ女性不信でしたが、とても無気力だったのを思い出します。

わたしは2度目の被害の際、家族に話を聞いてもらいました。落ち着いた、大丈夫だ、と思ったのですが気分が晴れただけで「回復」は出来ておらず、しばらく経ってからとても荒れました。

もう生きてても意味がない、でも死ねない。死にたいけれど、生きたい。
その時期は自暴自棄で暗闇の中でしたが、なぜかとても性に執着したのです。とにかく自分が気持ち悪くて仕方がなかった。性的なことで傷を負ったのに、性的なものを重ねて殺されようとするのは不思議な現象でした。自分も世の中のセックスしか考えていないくだらない男も全部焼き尽くしてしまえば良い、というような、激しい感情でした。今思い出しても危ない行動をしていたなと思いますが、事件に巻き込まれるなど怖い思いをしないですんだのは運が良かった。ネットが今ほど発達していない時代だったからだと思います。

早い段階で行動にブレーキをかけることができましたが、この頃はカウセリングに行かずに頑張れると思っていたので、長く混沌とした精神状態を引っ張っていました。深い傷に耐えられず、「大したことないのだ」と思い込いこむために、さらに傷を重ねることで相対的に小さく見せようとするのだと教えていただきました。
コントロールできない体の底から湧き上がる何か…自分でもうまく言い表せませんが、行動がおかしいなと感じたら、すぐにカウンセリングを受けてください。


しばらくは注意していて欲しいですし、念のための心のケア、できるだけ早い心のケア、をして欲しいなと思います。

日本はまだまだカウンセリングのハードルが高いのか、つらそうなのに頼らない人が多い気がしています。頑張らなくていいんですからね。専門家の力を借りてくださいね。わたしのように人生のほとんどの時間を、トラウマを越えるために使わないで欲しいと思ってこれを書いています。

時代もあったかもしれませんが、わたしは自分に合う先生がなかなか見つからず、病院をはじめ、電話相談、占い、カラーセラピー、友達、かなり色々なところに相談しました。
最終的にわたしがお世話になったカウンセラーさんは高橋万紀子先生です。エッセイ執筆の際にも支えていただきました。


同性でもわからないことがある。本人(自分)の状態で判断して

性被害やセクハラの問題が起こるたびに、さまざまな議論が飛び交います。

「わたしならすぐ人に言う(相談する)のに」
という意見もよく見ますが、いざそうなったら分からないものなのです。その人の性格やどのような環境かにもよるでしょう。誰も同じようには行きません。
同性だからと言って分かる、寄り添えるとは限らないのです。「自分の時はこうしたよ」なら少しは役立つかもしれませんが…。あくまでも自分(本人)の今の状態に沿って判断してくださいね。

あの人が加害者だなんて、と思っても、ほかに見せる顔はちゃんとしている事も多いのです。「100%悪人」はそうそういません。また相手はそれが悪いことと思っていない可能性もあります。外面がいい相手の場合、誰かに相談してもなかなか信じてもらえないことも多いように思います。けれども真実なら、押し込めないで良いのです。自分を責めないでくださいね。

なんで言わないの、なんでそんな事になったの……、
なんで、
は「傷ついている今」には必要のないことです。言わないように居て欲しいですし、言われても捨てちゃってください。わたしも一杯言われました。今は答えられますが、傷ついて苦しくて仕方がない時は、それはとても受け入れられる言葉ではありませんでした。

とにかく心身の回復が先だとわたしは考えています。

最後に

自分の体験から書きましたが、人それぞれですので参考程度にしていただけたら幸いです。

ずっとオープンにするのは難しかったんですね。
怖い、という気持ちがいつもどこかで付き纏っていました。

報復されることが怖かったし
周りからセカンドレイプのような言葉や興味本位の言葉を言われるのも辛かったし
犯人探しになるのも、解決のために掘り起こさないといけないのも嫌だった。

ショックが大きすぎて、とにかく心の奥に埋めておきたかったんです。

実際、1度目の被害……こどもの頃のことは記憶の奥底に埋められていました。急に男の子と遊べなくなった、それは成長に伴ってじゃなかったんですね。小学3年生の頃の記憶、全然なかったの。18歳で初めて恋人ができても触れられない。軽いキスでもしようものなら取り乱してしまう自分を不思議に思っていました。

進学したのは心理学科でした。あるとき授業中に教授が「学校は性犯罪の温床になりやすい。誰か経験がある人、話せる人はいますか」と言った瞬間にフラッシュバックしました。おかげでまともに授業が受けられなくなって、それ以降の成績は散々になっちゃいましたが……。

当時は心療内科がまだ全然なく、教授に紹介されたのは精神科のある大きめの病院でした。いまその形式で診てくれるところがあるか分かりませんが(30年前…!)当時は投薬をきめる精神科医と、心の整理を手伝う臨床心理士がペアで時間をとってくれていました。最初のうちは怒りがでました。掘り起こさないといけなかったからです。こんなの役立たない、もうやめてやる!と思いつつ通い、10回ほどのカウンセリングでトンネルを抜けました。

なかったことにはなりません。ただその事実が消えなくても心を保てるようになり、悪夢も見なくなったんですね。カウンセリングからの帰り道、あれ、空が明るい…とふと笑みがこぼれたのを覚えています。

やっとトンネルをぬけた頃、音楽学校時代に2度目の性被害に遭いました。この頃が1番辛かった。特に10代の終わりから20代の女性は、男性が思うよりもずっと多く男性の性欲の目に晒されます。未遂(逃げられた)の事例も合わせると実はもう少し多くあります。

2度目の回復が遅れたことで、男性全般に不信と怒りが癒着していきました。お付き合いできたらいいなと思っていても、男性が関係を迫ってくると心の奥底で怒りが湧く自分に気がつきました。この怒りはどこからきているのだろう。憎むべきは加害者なのに、向ける先がなくなって絡まってしまっているのだ、という事に気づいてから心の整理が進むようになりました。

時間がかかって、長続きするような穏やかな恋愛や結婚はできませんでしたが、今となってはこうした事を書くときにその出来事を思い出してみるくらいなので、過去に置いてこれたのだなと思います。穏やかにいられているなと感じられるようになったのは、つい最近です。

男性にはぜひもっと怒ってもらいたいのです。そうした、女性をモノのように扱う人が減るように…。
あなたが愛した人が、大切な人が、目の前にいるのが男性というだけで心がうまく開けなくなってしまったら、とても悲しいと思いませんか。
多くの人はそんなことをしないのに、一握りの人間のせいで制限や社会不安が強くなることは、とても不自由でもあります。

仲良くしていた人たちが、子宮頸がんの啓蒙をする人に対して「病気を売りにしている」と激しく罵っているのを聞いて、次に言われるのはわたしなのだと、そんなことも怖く思っていました。出来れば抱えたくないことなのに、なんて悲しい言葉でしょう。同性の言葉は、自分と違う意見を上書きされる可能性も高くなるので、怖かったんですね。その意見がスタンダードだと思ってしまいそうになるから。声の大きな人が正しいとは限らない…。

今は、体験した人間にしか話せないことがあって、それが誰かの役に立てられるなら、何を言われてもいいやと思えるようになりました。
自分が救われたかった頃は、全然そんな風には思えなかったけれど。

無理する必要はありません。自分のペースで癒してくださいね。

トラウマが時系列を無視して「今そこにある危機」としてずっと心身を苦しめるのは、同じ目に遭わないよう命を守るための人間の本能だそうです。それだけ深く負ったものなんですよね。心と体、頑張っています。休めて、癒してあげてくださいね。

悲しみを過去に戻して、これからを穏やかに過ごせるよう願っています。

どうか、苦しむ人が1人でも減りますように。

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Karen Tokita 〜優しいうた・ボサノヴァ〜
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