哲学と私
私がどのようにして哲学の道に入りこんだのかを書いてみようと思います。大学に入学する以前は、哲学にはまったく興味がありませんでした。社会科の授業でも出合い損ねた。夏休みの課題図書として山崎正一の新書を買わされたが、読まずにインチキなレポートを提出した。
哲学、精確には西洋哲学との出合いは大学に入学して訪れた。
私は大学では小説を読んだり書いたりしようと思っていたので、機関誌を発行している文芸サークルに入部しました。ところが入部してほどなくして、確か朝早い時間だったと思うけど、部室でまったりしていたら、よれよれのスーツを着た細身で長身の男が軋むドアを開けて入ってきたのである。左手に赤ワインのボトル、右手にマルボロ赤。私を哲学の道に引きずり込んだ張本人、M原さんとの初遭遇である。
開口一番「哲学やらない?」とM原さんは言った。
「え?」と私は半ば絶句した。
「哲学、興味ない?」
「はぁ、ないこともないですけど」
「じゃあ、一緒に勉強会やらない?」
「小説を書くことに役立つなら……」
「よし、やろう」
このようにして、私は三つ上の先輩と哲学の勉強会を共同主催することになったのである。人生で一冊も哲学書を読んだことのなかった私がである。取り急ぎ、小坂修平の『西洋哲学史』と今村仁司の『現代思想のキーワード』を読んだ私はM原さんに「フランス現代思想をやりましょう」と提案したが「いきなりは無理だ」と言われ、M原さんの独断でヘーゲルをやることに決まった。今にして思えば、それはマトモな教育的判断だったと思う。
とにかく、ヘーゲル勉強会は始まった。初回はM原さんがレジュメを切ってきた。デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カントについてまとめたものだった。私の頭は軽く爆発した。
ポイント・オブ・ノーリターン。
その後、ヘーゲル勉強会は一年続いた。月一のペースで。私は大学の授業そっちのけでレジュメを切っていった。半年ほどして『精神現象学』に直に当たることになった。図書館で読みはじめた。読めない、とにかく読めないのであった。日本語で書かれているはずなのに意味が何も分からない。それでも図書館に籠って一週間で八頁読みすすめた。この読めないという体験が私を哲学の虜にした。いつしか、小説のことは忘れて私は哲学科に進学した。
後に再び小説にも出合うのだが、それはまた別のお話。