私が「やりたいこと」にこだわる理由
誰もがやりたいことを実現できる社会 それは私の活動する理由、理念です。ではなぜこの高校生は「やりたいこと」にこだわるようになったのか。今日はその理由を語っていきたいと思います!
中学生編と高校生編の2部に分けて投稿します!
自分自身が嫌いでやりたいことを考えられなかった中学時代
私は、小学生の頃から自分のことが嫌いで、自分に自信が持てない性格でした。そんな自分を変えたくて県立の中高一貫校を受験しました。そして、無事合格し憧れの中学校生活が始まる!と思ったのも束の間…
新型コロナウイルスの影響で長期休校が始まり、本格的に学校生活が始まったのは6月からでした。
やっと学校が始まる!そんな期待を胸に、自分を変えるために学級委員長に立候補しました。初めての学年委員長ということもあり、自分に興味を持ってくれる人が多く、学校ってこんなに楽しくていいの?というくらいに楽しくて充実した生活を送っていました。
私の変わりたいという気持ちを受け止めて、努力を認めてくれる先生にも出会い、大変なこともあったけど、本当に楽しかったです。
しかし、そんな生活は長くは続きませんでした。
学年委員の任期が終わる秋頃、どんどんクラスで浮いて孤立していくのを感じました。そして、体調を崩すようになり11月の中間考査の日に人生で初めて過呼吸を起こしました。考査は担任の先生のサポートもあり、無事受けられました。しかし、その後、発作が日常的になってしまいどんどん孤立を深めていました。そのため学校を休んだり早退することが多くなりました。最初のうちは自分でも症状についてわからないことが多く、病気とかではなく、一時的なものだろうと思っていたけれども、どんどん悪くなっていく症状を受けて精神的にも辛くなっていきました。
そんな生活を受けて、私は再び自分のことが嫌いになり、一度は成功したと思っていたため、できていたことができなくなっていくという感覚に耐えられず、誰も自分のことなんて見ていない。自分には価値がない。努力したのにもっと辛くなった。そんな気持ちに支配されていきました。学校に行っても授業を受けられず、罵倒される。けれども学校は休めない。そんな中、ある事件によって私の症状に対する周りの意識が大きく変わりました。
その日は特に体調が悪く、午前中の授業から発作が起きていて、その時は担任の先生の授業だったのですが何回か声をかけてもらって一旦は落ち着きました。しかし、午後の授業でひたすら英文を書く授業だったのですが、その時発作が再び酷くなってしまいました。クラスの子が心配して声をかけてくれたくれて授業担当の先生も来て英文をひたすら書く授業だったのでほぼ自由時間みたいな授業だったのですが、授業を中断してしまったことへの申し訳なさが溜まって、気がついたら担任の先生と養護教諭の先生が目の前にいました。その時はこれでことなきを得たのですが、なぜか放課後私は部活に行きました。
発作が起きた直後は体の酸素が巡らず眩暈がしたりフラフラすることがあるため当然部活でまともに立っていることなんてできなかったのでみんなが練習しているのを見ていることしかできませんでした。
その日の部活が終わってもしばらく立てない状態が続いてしまいました。
なんとか体を起こして駅まで行ったのですが、限界が来てしまい倒れてしまいたした。駅の医務室で休むことになり、やっと自分の置かれた状況を理解してこれはただ事じゃない。私の体どうなってるの。もうこんな自分嫌。そんなことばかり考えていました。
この出来事があってから、私の状態を重要視した家族や学校側。このことから、私は学校に行けなくなり自分の殻に閉じこもるようになりうつ病のような生活を送っていました。そのため、やりたいこともなく、夢も叶わない。せっかく入れた学校にも通えなくなった。なら何をやってもうまくいかない。それなら淡々と生活を送るしかない。ますます自分に自信をなくして、やりたいことも考えられない日々を過ごすようになりました。
たった一人の理解者
学校に行けなくなり、周囲との距離ができてしまい孤立しかけていましたが、たった一人の理解者がいました。当時の担任の先生です。
先生との出会いは以前受けたインタビューで詳しく語っています!
先生後支えのおかげで、また学校に通えるようになりました。しかし、夢や目標、やりたいことは特にありませんでした。そのためか、学校を楽しむことはできませんでした。学校に行けなかった時期に周囲と壁ができてしまい一人でいることが多かったです。しかし、学校に行けなかった時期はもちろん、学校に行けるようになってからも、先生はいつも私のことを気にかけてくれて授業に出れなかった時や放課後などに話を聞いてもらっていました。そのため、先生に会うことを目標に学校に通っていました笑
挫折の先に見つけた最初の目標
学校にまた通うようになって、気がつけば中学3年の冬
「高校生になるけどこれからどうしよう」という気持ちが私の中に芽生えました。
私の通っていた学校は中高一貫校だったので高校受験が無く、中学生のうちから大学進学を視野に入れていました。周りの同級生よりも早く大学進学を考えられるので、少しではありましたが意識していました。この3年間ずっと支えてくれた先生の存在は、私にとっていつしか憧れであり、目標となっていました。
「そうだ、先生と同じ大学に行こう」
これが先生に近づくために一番の近道だと思いました。個人情報の関係で大学名は伏せますが、その大学は全国的にも有名で目標を見つけたかった当時の私にとって目指してみたいと思わせてくれる場所でもありました。
そして、私は大学進学をして先生の後輩になるという最初で最大の目標を掲げました。
次回予告
今回は中学生編を掲載しました。一度は変われたと思っていましたが、思いもよらない挫折を経験し、最初の目標を見つけるところまでを振り返りました。しかし、高校生になってすぐにまた新たな課題が?!
そして、「やりたいことを実現できる社会」を作る起業家誕生の瞬間!
乞うご期待ください✨
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