青年の主張、ならぬ子猫の主張?
(前回のお話+α)
我が家にやって来ることになった子猫。病院で検査をしてもらったところ、どうやら生後2か月くらいと判明。現在はすくすくと成長し、今では立派なストーカーとなり、私を監視している日々。反応する言葉は「ママ」「みーちゃん」「チュール」「ママのしゃべるなんちゃって猫語」。
■子猫の瞳に映る世界を考えてみた
ご縁があって我が家にやってきた子猫のみーちゃん。息子の友達も、息子から話を聞いて毎日みーちゃんに会いに来る。ちょっとした猫フィーバーが住宅地に巻き起こっていた。当然、モフりたい家族一同だったが、そこは猫、子供とはいえ必要以上に自分が欲しない時にベタベタされるのは嫌なので、そういう時はサーッとキャットタワーへ逃げる。もしくは、人間が確実に入ってこれないピアノの裏に避難する。賢い。
そこで、ふと考えてみた。この子の目には、この環境はどんな風に映っているのだろう?と。
生まれて2か月。きっと、母猫や兄弟猫(いるかどうかはわからないけど)にくっついて、保護された近くで遊んでいたに違いない。それが、ある日突然車の中に入り込んでいたら出れなくなって、人間に救助されて。そのまま保護してくれた人の家で育てられて。やっと慣れてきたと思ったら、よくわからない大きな音がするもの(車)に乗せられ遠くに連れてこられて、また知らない人間たちのところで生活することに。しかも外にはほとんど出ることができなくて――
今でこそ慣れてくれたものの、最初は訳も分からず、心細かっただろうなあ。猫の思考回路はよくわからないけれど、それでも別れてしまったままの母猫のことを思い出すこととかあるんだろうなあ。そんなことを考えていたら自分が泣いていた。猫よりも自分の方が泣き虫だとこの時初めて気づく。
■何か、してほしいことはあるかい?
猫を飼うにあたり、家族みんなで勉強をした。猫が喜ぶこと、嫌がること。自然体に、ゆっくりと「家族」になれるように接してみた。すると、うちに来て1週間もしないうちに、みーちゃんは既に3年はここで生活をしているかのような自然体で暮らしてくれるようになった。やはり超順応性の高い子だた。
脚の間でくつろぎたい時は自由にさせて、猫じゃらしで遊んでほしそうな時は、疲れてコテン、と眠ってしまうまで、気の済むまで遊んであげる。言葉はわからないけど、なんとなく「これしてほしい」っていうのが分かるようになってきたような気がした。
そんな中、もう明確にみーちゃんが意思表示と自己主張をしたことがあった。それが―――
■形は違えど、ママはママ
ソファに寝そべって座ている私。そんな私の脚の間にくっついて座る息子。
その二人の間に、しかも息子を押しのけるようにグイグイと、みーちゃんが割り込んできた。かなり狭いのに。しかも横には旦那もいたし、もっと広い空間もあるのに。
息子が、「みーちゃんばっかり抱っこして!僕も抱っこ!」と、いきなり赤ちゃん返りしたのと一緒で、「みーのママなんですけど! もっと詰めなさいよ!」みたいな感じなのだろうか。
猫の世界は、女社会だといわれている。だから、子育てしている猫を見ても、滅多にオスの姿は側にはいないという。姿かたちは違えど、ママはママなのか。
おかげで私のお腹の上は大渋滞だったものの、子供二人に取り合いをされたような気になり、ちょっとだけ幸せな気分になった。
そんな光景を見ながら、「みーちゃーん、パパは空いてるよー」と小さな声でずっと主張していた(のに、みーちゃんが全然寄ってこない、飼うことに積極的だった)旦那についてのお話は、また別の機会にでも。