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「常識を疑う」という護身術

正解は無いのかもしれないが、生きていく上での護身術。
当たり前だと思われている事を疑問視してみる事、自分の頭で考え直してみることが安全に繋がる場合もある。

たとえば、高校から大学に進学することは人生にとって有効なのかを考えてみる。

人生のステージ選択の順番が「高校→大学」でいいのかを考えてみる。仕事を始めてから必要性を感じて「高校→仕事→大学」に行ってもいいのではないか。社会を知ってから学んだほうが学問は役に立つだろうし、大学で教えている内容はとても古いものが多い。それならば実社会を経験した上で、実務を繋ぐ基礎学問としての勉強をしたほうが役に立つ。

今の時代、誰もが当然のように大学進学を選ぶが、高額な就学コストが掛かる割に就職にほとんどメリットが無い「コスパの悪い」ものになってきている。ホワイトカラー仕事と言っても大卒と高卒が同じ仕事をするケースも多い。

若いうちにしかできない事を後回しにして大学に通うのも疑問ではある。それよりも若いうちにこそ体力や飛び込み力が無いとできない経験をし、頭を使うのはもっと後でも良いのではないか。

大学に行くのは当たり前、というのは親の時代の常識。現在は通用しないと思ったほうが良い。一般常識は大切な事だが、古い世代が押し付けた常識であれば現状から乖離している危険をはらんでいる。常識自体が時代に合ったものなのかを吟味して、人間にとって一番大切な「時間」というリソースを無駄にしないこと。これも護身術。


別の例として、日本国内で生活していくことは安心な事なのかを考えてみる。

「なにをバカな事を。日本が一番安全だ」と言われそうだが、少子高齢化・経済・政治・国防などを鑑みて、今の日本が安心だとは思えない点が多い。税金が上がっていくのはそれに見合うメリットがあれば悪くないが現状は疑問。社会保険が隠れた税金として増加徴収され続けているのは危険信号。

税金は「国営や公営の資産(道路・設備等)を利用する料金」だ。税金を払った分のメリットが返ってこない(もしくは利用料金が高い)のであれば、日本を出て税金1%の国に行けばいい。社会保険は「将来不安に対して契約者全員でお金を出し合って、その金額に見合った社会保障を還元してもらう助け合い」の仕組み。社会保障の本来の意味に合わせて「生活保護が必要な人に支給」すべきであって「高齢だから支給」ではない。現状の社会保険は「税」になってしまっていて「保険」と呼んではいけないと思う。

高齢者への年金支給が足かせとなって機能していない社会保険に異議があれば、日本を出れば社会保険を支払う義務は無くなる。正しい社会保障を行っている国を選ぶのも護身術だ。


これらの一般常識は、その中にいては感覚が麻痺していて疑問視することができない。だから日本から飛び出して、1週間〜1ヶ月ほどの旅行をしてみることだ。外から見る「日本」や「自分の会社」の常識は、じつはおかしな事になっているのに気が付くかもしれない。


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