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【醍醐桜】満ち満ちと花開く、その日までに。
岡山県真庭市に咲き誇る、樹齢1000年ともいわれる【醍醐桜】
『満開を迎えた、夜の醍醐桜』の写真を観たかったので、岡山のフォトグラファー【横山三鈴】に撮影を依頼。
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この素晴らしい写真を額装しようとウズウズしながら、長年に渡って咲き続けている醍醐桜の雄大さに、今は浸っているところ。
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長い間、毎年変わらず咲き続ける"尊さ"。
四季の流れに身を委ね、しなやかに"移ろい"、幾度となく咲き誇る。
「変わらないこと」と「変わり続けること」
この相反する営みを、自然に身を委ねながら重ねてきたからこそ、現在も悠々と繁っているのだろうな…と、そんな想像に心が踊る。
満ち満ちと花開く時期は短く、瞬く間に落ちてしまう。
それでも、移ろうことを絶さなければ、尊さは深みを増してゆく。
やわらかな風に吹かれ、命は芽吹き、流れ落ちる雨と共に、蕾は綻び、天と温もりを分かち合うことで、花が咲き誇る。
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・・・ときに、人の美しさとは、花木の一生に似ているのかもしれない。
満たされては花開き、スポットライトを浴びるも、瞬く間に舞い散る、無常の日々。
それでも、美しく咲き誇る瞬間を切り取るだけでなく、散り様に見惚れ、尊さに吸い込まれ、再び満ち開くまで、忘れることなく待ち侘びる人も在る。
待ち人が在るからこそ、『粋な咲き方』を僕らは模索し、寒さと夜に埋もれながらも、己を明け渡し、身を委ね、他者との関係性を養ってゆく。
勢いよく花盛るだけでなく、豊かな土壌に根を張りながら、陰日向で力を蓄える時期も必要だ。
朝陽を待ち侘びながら、夜を超え、ついに花開き、潔く舞い散る。
「いかに美しく咲くか」だけでなく、「咲いては散る儚さを受け入れ、心に従う」という、そんな姿勢に美しさが漂い、人の心に情を残すのだろうと思う。
散らずに咲き続けることをたとえ諦めたとしても、散っても再び咲き誇ることは諦めないからこそ『粋』であり、その度、自分が自分で在ることの尊厳は深みを増してゆく。
それはまるで、春の訪れと共に繁栄を続ける醍醐桜のよう。
自分が自分で在りながら変わらず咲き続ける”尊さ”と、自然に沿って移ろいを運んでゆく”しなやかさ”を併せ持った生き様が、他者の心をたぎらせるのだろう。
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・・・思えば、長岡から笠岡に引っ越してまもなく2年が経とうとしている僕自身の生き様も、花や木と同じだ。
新天地に移り住んだ当初、まずは土壌作りから始めた。
心機一転で芽生えた新鮮な想いが、やがて廃れてしまうことを前提に、太陽のように光を照らしてくれる人や、潤いを注ぎ続けてくれる人の側へ根付こうと、そう決めた。
花盛りの時期こそチヤホヤしてもらえど、枯れそうな時や日陰にいる時ほど、関係の履歴が浮き彫りになる。
まさに栄枯盛衰。
もしかすると、いずれ廃れることを前提に日々を生きるのは、一見、暗きことのように思えるかもしれない。
けれど、出逢いの恵みに与る(あずかる)純粋さと舞い散る潔さ、そして、枯れてしまう儚さがあるからこそ、光を照らし合い、水を注ぎ合える人との間柄が、実を結ぶのだと思う。
きっとその柄は、唯一無二の模様に。
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花が咲いた瞬間よりも、花が咲くまで寄り添う懸命さや、散り際の名残惜しさが、僕らの記憶を深めるのだと思う。
昔の恋人の”顔”は思い出せなくとも、その”香り”は思い出せるように。
…ただし、見るもの聞くもの触れるもの、その全てで自分が感じた心に従おうとすれば、ふとした日常下で溜息が漏れる日も少なくない。
けれど、風で舞い散る桜の花びらのように、この営みによって残るものが、必ずある。
それは残像や残響、残念だっていい。
キッパリと潔く散り、粋に咲き誇ったからこそ、色褪せることなく残るものがある。
共に呼吸を合わせた相手の表情や、懸命に発した声、奏でた音が、明日も明後日も心に浮かぶように…
散った後に残された残像や残響や残念が、僕らに青き炎を灯す。
美しく散ったことが残念だったからこそ、枯らさぬよう、またヨリをかけたくなる。
やがて散りゆく弱さが潜在するからこそ、周りを頼ることもできる。
だからこそ、変わらず咲き続ける尊さを柱に、風と共に名残惜しさを落とし、粋な移ろいを届けて参りたい。
末永く繁栄する【醍醐桜】のように。
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・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)
愛と倫理と、浪漫を語りたい。
今回の写真は全て、岡山のフォトグラファー【横山三鈴】の写真を使わせて頂きました。
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