2日目、掃除機への思い入れ
今回は自分の短歌の話。
代表歌を選ぶのがめちゃくちゃに苦手である。
あれもこれも、となってしまい、一つには絞れない。「上手く出来た」と「上手く出来なかった」の差はもちろんあるけど、「上手く出来た」の中にずば抜けてこれみたいな歌はない。気がする。だから悩む。
うたの日の成績でいうと、現時点で最高点を記録している、唯一の秀歌が、これ。
泣きながらボタンを押せば掃除機にまっすぐ帰っていくコンセント(2020/1/11『泣』)
この歌は、かのtoron*さんの記事「うたの日366」で紹介していただいたりもした。7/19の記事です。
ちょうど私はそのとき期末テストの真っ最中で、記事にすぐ気づけず、あとから発見するという始末。Twitterで「書いてもらった!!」って呟きも出来かったし、何ならお礼もしてない。この場を借りて、ほんとにありがとうございました、めちゃくちゃ嬉しかったです。
実は、私はこの歌に距離を感じていました。
素直に代表歌だと認められない自分がいた。作ったときは自分のものだった。"うたの日の歴史に名を刻めた"歌として、感謝もしていた。でも、結果発表の後、この歌は一度、確かに私の元を離れていってしまった。
その理由を語るために、もう二つの歌を経由したい。
アトピーの息子は瞳を震わせてアンパンマンの長袖を指す(2019/11/5『ヒーロー』)
私には「アトピー性皮膚炎」というコンプレックスがあります。そのことを初めて短歌にしたのがこれ。
正直、下手な歌です。下手なのでリンクは貼りませんw
ちょうどこのとき私はスランプで、自分の痛いところを差し出していい歌を作ろうとしたようですが、裏目に出てしまいました。「大丈夫」という評も、逆に傷ついてしまいました。これがきっかけで、私は「直接アトピーを詠むことはやめよう」と心に決めました。
それでもやはり、アトピーが根底にある生活の感覚、価値観というものは、おのずと歌に現れてくる。
泣きながらボタンを押せばーー私の「掃除機」の上にはアトピーがありました。
掃除機の歌は、うんうん悩みがちな私にしては、すっと作れたものです。自分の気持ちをそのまま表しただけですから当然です。が、作ったときの私はそこまで意識していなかったようです。
「掃除機をかける」という動作は、どんな人でも共感できる。私自身、どんなに辛くても家事をする大人の景として解釈できるな、と思ったから、個人的な景にとどまらないな、と無意識に確認したからこそ、この歌を採用したはずでした。
けれども、「掃除機=家事」という解釈をされ続けるなかで、主体と自分が離れていってしまったのだと思います。私にとっての掃除機をかける動作は、アトピーと向き合うことを現していました。
酷くないときはそうでもないのですが、アトピーが酷いとき、布団の上はたいてい悲惨なことになります。昼、意識の働いているときは大丈夫なのですが、夜、意識が遠のいていきながらもまだ寝てはいない時間に、私は私の肌を傷つけてしまいます。掻きたくなくても、気が緩んでいて、気づいたら掻いてしまう。その絶望感と言ったらありません。
朝が来て、私は夜の間にしでかしてしまった所業と見つめ合わざるを得ません。身体的には肘のうらが痛かったり、目の周りが腫れていたりします。そして、掃除機をかけなければならない。悲惨な布団の上を、綺麗にしなければならない。たいてい、母に言われて嫌嫌、です。
掃除機の歌は、そんなとき私に寄り添ってくれる個人的な歌でもあるということ。そのことを思い出してから、掃除機の時間のたびに歌を反芻するようになりました。
何なら私はペンネームが一時的に「暗闇で踏むコンセント」だったことがあるのです。このときからコンセントについては勘違いしていたようです。それだけ、掃除機は、私にとって切っても切り離せない特別な存在だったのです。
アトピーを詠った歌が、もう一つだけ、あります。
第5回万葉短歌バトルの準決勝の歌です。詠題は「月」。私は先鋒でした。
光るとき光れたらいい月の海みたいな頬をしずかに撫でる
月の海みたいな頬、というのがアトピーを差しています。アピールタイムでは直接解説せざるを得ませんでしたが、「アトピーを直接詠まない」という自分の決意が色濃く現れています。
一見、綺麗に見える「月の海」という表現を借りることには、ポジディブに向き合いたいんだという思いを込めました。また、分かりにくい比喩がありつつも、一番伝えたい「光るとき光れたらいい」は、確実に分かってもらえるようになっている。個人的な景ですが、アピールができる大会の場だからこそ、生きる可能性があるということで、私はこの歌を選びました。
最初は軽い気持ちでした(当時皮膚炎がそこまで酷くなかったので。大会が近づくにつれて、暑さのせいか、悪化しました。安定期が続いていたはずなのに……)が、だんだんと「負けられない」という気持ちが高まってきました。大将を努めた一回戦よりも、準決勝の先鋒のこの歌の方が、負けられない。この決意で、負けられるわけがない。
結果としては、勝てました。技術的なことも合わせて一番好きなのは一回戦の目玉焼きの歌ですが、私が万葉短歌バトルの中で最も気持ちを込めたのは、この歌です。
恥ずかしい話なので、noteでこそこそ吐き出しました。長袖から、掃除機を経て、月の海。私は変われたでしょうか。
長文失礼しました。自分で作った短歌には、特に上手く出来たと思えるものには、これだけの愛着が湧くんだよということを伝えられたらと幸いです(?)