9日目、八咫烏より①
短歌ユニット八咫烏(やたがらす)というものがありまして。私も所属してるんですが、
以前緋狐さんが「八咫烏、メンバー増えてね?」みたいなツイートをしてて、まさにその通りで。八咫烏は増えるんです。はるさん説明するかなと思ってたらしてなかったからここで説明しよ。
短歌ユニット八咫烏は私の通う某中高一貫校の歌人を学年クラス関係なく結びつけるための組織なのです。今高2しかいないけど。後輩もきっと入ってくれる……はず……!なので八咫烏は増え続けます。羽を広げ続けます。
というわけで今回はそんな八咫烏のリーダーこと一音乃 遥の歌の中からわたしが好きなものをひとつ紹介したいと思います。
無意識に夢の続きを見たがって枕のうしろへと手を入れる/一音乃 遥(2020/5/20『枕』)
はるさんは作風として共感を狙いにいかないで、感性で殴ってくるところがあるのだけれど、この歌はその点では珍しく共感の方に少し傾いている。
枕のうしろに手を入れてしまうこと、あると思う。何かの意図があるわけではなくて、ごろごろしてて気づいたらそこに手が入ってる。まずこの動作を切り取ったところがすごい。
少し脱線するのだが、細かな描写で御殿山みなみさんのこの歌を連想した。
ぺしゃんこのきみが巨人に踏まれたと泣くのでほほにコーラをあてた/御殿山みなみ(2018/2/21『巨』)
巨人に踏まれたという突拍子もない出だしが、頬にコーラを当てるという細かな動作の描写によって緩和され、全体として妙なリアリティが醸し出されている。
うたの日の御殿山みなみ巡りはまだ途中なのだけど、かなり好きな歌のひとつ。
さて、はるさんの歌の話に戻る。この歌はそんな「枕のうしろに手を入れる」という無意識な行動にある意味を与える。「夢の続きを見たがって」。
神的な視点からの言葉だろうか。君が無意識にやってるその動作は、実は本能的なもので、意味があって、夢の続きを見たいからなのだよ、と。
確かに枕のうしろに手を入れるとき、主体は熟睡はしていなさそうである。深夜、布団に入ってから熟睡するまでの間か、夢をひとつ見終えたけど完全には起きていない明け方かのどちらか。理性と睡眠の中間地点でその動作は起きそうだ。深夜なら昨日の夢の続き、明け方ならさっきの夢の続きととれる。
この、本能をくすぐり、かつ納得させられてしまうところがたまらなく好きな一首だ。
作風的な観点からもう一つだけ考察してみると、この歌は美しくない。「枕」「夢」ときたら美しい歌になってしまいそうなのになってない。
はるさんの歌はむやみに美しくしない。誰しも綺麗な景に走ってしまいがちだと思うが(わたしもそう)、彼はそうはならない。どこまでも現実を引き摺って、それを突きつけてくるようなところがある。というか、現実より現実感があることさえある。読者に媚を売らないというか。
というわけで八咫烏編の①でした。次回は々かな。
そういえば後輩が続々とうたの日を始めていてめちゃくちゃ嬉しい&びっくりした。私も頑張ろうっと。