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11日目、針のかたむき ほか

10日目に引き続き、第2回万葉の郷とっとりけん高校生短歌大会の、今回は入選作品の中で好きだった歌のいくつかについて語りたいと思います!

花冷えに靴下ぬぎて体育館足のこごえと針のかたむき/小林 心

針のかたむきってなんだろう。と最初は悩みました。短針(あるいは長針)のことですね、これは。主体は部活に打ち込んでいて、気がついたら時間がずいぶん経っていた、そんな景だととりました。

めっちゃいい。短針、長針と言われるとどうしても時間としての特徴が際立って、それだけで終わる。でも針としたことによって、針という言葉の持つ冷たさが際立つ。

靴下を脱ぐ部活ってなんだろう。運動とは縁のない高校生活を送っているもので何をしているのかまでは分かりませんでしたが、寒いのに靴下を脱ぐほど真剣なことはよく分かります。かっこいい。床と足が擦れあう、キュッキュッていう音が聞こえてきそう。

目を閉じて見上げた空はまぶしくて私の中で何かが育った/森下 心

なんか惹かれました。「育った」の唐突さがいいな、って。

この歌はどんな瞬間もわたしは成長しているんだよ、みたいな綺麗事的な意味にも取れそう。だけどわたしは「何かが」の部分を強めに取って別の解釈がしたい。主体は何が自分の中で育ったのか、分かっていない。そこに「怖さ」がある。

得体のしれない植物みたいなのが自分の中にいて、光合成をするように空を見上げるたびにうねうね育っていく。そんなイメージ。育ったものは、わたしであってわたしではない。そんな異物感がある。自分の感情というのは、ときに自分の意思を超えることがある。こんなことがしたいわけではないのに、してしまった、みたいなことがあると思う。そんな自己の得体のしれなさを詠んでいる。怖い歌はいい歌。

空間と時間を君が照らすとき蛍光灯の残り灯の僕/赤松 音於

上の句にものすごく惹かれた。普通、人は三次元に生きていると思う。でも「君」といるときは、時間も意識して、四次元的になる。生きることに奥行きが増すのだ。すごく、分かる。それを「照らす」と表したのがいい。

照らす、という言葉は能動態でありながら、意識的なものではない。光は照らそうとして照らすというよりは、意図せず発光して、意図していない地点を照らしてしまうものだ。「君」は意図せず主体を惹き付ける。でも照らすってすごく優しい言葉で、救いがあるような気がする。それらを含めて恋愛(とは限らないが恋愛に近しい事象)を表すのにぴったりだと思う。

下の句は自分の中で取りきれてないような気もしているが、ちかちかと点滅する蛍光灯のイメージを思い描いた。「君」に揺れ動かされる主体だろうか。

個性という光与えよ白魔術真夜中に噛む味消えたガム/金子 遼耶

なんか好きでした。白魔術って言葉がこれほどまでに溶け込むのか、と。魔法に個性を願うって、なかなか不思議なことをしているな、と思う。あと個性を光と断定しているのも面白い。光のような個性、ではなく、個性という光。そしてガム。それもただのガムではなくて、味が消えたガム。「消える」って魔法と結びつきやすい言葉だから、この要素もかなり効いてると思う。

どのパーツが消えても成り立たない歌だなと思った。バラバラに解釈していったら魅力が消えてしまいそう。



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