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梅の目、そしてプルースト

虎屋の羊羹のうち「夜の梅」がいちばん好きだ。
ひと竿のそれを切るとき、包丁はぬぷりと羊羹の闇に沈む。そのままゆっくりと刃を沈めてゆくと、やがて一切れがあらわれる。羊羹はくろぐろとした断面に、やや明るい黒い粒を見せている。

闇というものは、平たいいちまいではなくて、奥行きのある立体なのだと思ったことがある。

もう10年以上経っただろうか。アメリカ・バークレーに住んでいた友人をひとりで訪ねた。飛行機に乗る前に売店で買ったミステリを読んだのがいけなかったのか、離陸してからまもなくしておそろしく具合が悪くなってきた。寒くて吐き気がする。とても体を起こしていられない。キャビンアテンダントさんを呼び止めて、具合が悪いから横になりたいということと、ありったけの毛布を貸して欲しいと伝えた。あいにく満席で横になるスペースはないという。青い肌触りの悪いうすいブランケットを何枚も貸してくれた。
その毛布にくるまってがたがた震えながら、窓のガラスに額をつけて外を見た。

外はどこもかしこも闇だった。闇に目を凝らすと、嵌めこまれたように大小の星が散っている。星は、すこし手を伸ばせば取り出せそうにありありと見える。地上にいて見上げるよぞらと違って、その闇には奥行きがあり、まるで黒いゼリーの中に入って、ゼリーの中に埋め込まれた星を見ているようだった。その星を見ているうちに眠ってしまったらしい。気がつくと機内はあかるくなっていて、飲みもののサービスがはじまっていた。わたしの具合の悪さは、何事もなかったように消えていた。

ゆうがたから夜へとゆっくり時間がすべるころ、家への小道を歩いていた。
角に差し掛かるところで、なぜかつよい酢蛸の匂いがする。これはたしかに酢蛸だな、と思って歩いているうちに、今度はきんぴらごぼうの匂いになった。ごぼうの匂いは、しっかりとしていて深みがある。酢蛸よりもごぼうの匂いはかなしい。どうしてだろうか。ごぼうの匂いはかなしいのだった。

イヤフォンから流れる音楽の歌詞を口ずさんでみる。
「もうプルーストとしか言えない」。
ほんとうはそうは言っていないのだけれど、何度聞いてもそう聞こえてしまう。
そうだよな、やっぱりプルーストとしか言えないよな、と思いながらあるかないかのゆるい坂を上る。

左手の闇のなかに埋め込まれたように梅が咲いている。白梅である。
今日の陽の最後はもう消えようとしていたから、咲いている梅を囲んでいるのはほとんど闇であった。梅はところどころ光ってみえる。光ってみえるところはきっと梅の目なのであろう。まばたきをしないひかる目はこちらにじっと向けられている。闇に嵌めこまれた石のように、梅の白はさえざえと見える。手を伸べれば捥ぎとることができそうである。わたしは腕を伸ばさなかった。

梅の木を囲むようにしてある石塀を曲がる。曲がったところで、不意に梅が香った。
もう梅の目は見えない。二歩歩いたところで香りもわからなくなってしまった。
そこから家へ着くまでの坂道ではほかに匂ったものは何もなかった。

わたしはゆっくり坂を上る。途中で左手に下げた買いものふくろと、右手のショルダーバッグを持ち替えた。

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