工場のライン作業中に意識トリップ ー肉体労働者でもつくるのを楽しむ方法ー
こんにちは。私は工場で働いている烏田(からすだ)と申します。アラフォーの派遣社員です。
タイトルにトリップと書いてありますが、決して危ないクスリを使用しているわけではありません。
なぜ私のような肉体労働者がnoteに小説を投稿し始めたのか、が今日のテーマです。学のない肉体労働者が創作をしているのを疑問に思う人もいらっしゃると思いますので、解説します。
実は前々から小説を書いてはいたのです。
私は読書が好きで、過去には書評ブログなんかも書いたことがあるんです。
それで、もちろん小説も読みますので、自分でも書いてみたいという思いは以前からありました。たぶん学生時代からそうだったと思います。
ですが、なかなか時間が取れない。小説には執筆時間はもちろん、構想の時間も必要です。社会人になったらなおさら余裕はありません。
ところが転機が訪れます。
あれは20代の半ばの頃でした。私はとある工場に契約社員として入社しました。小さい頃から工作やプラモデルが好きだったので、ものづくりがしたくて入ったのです。
工場での仕事は初めてでした。そこでは印刷機器を作っていました。そして私はライン工程に配属されます。
ライン工程とは、分担して流れ作業で製品を作るパートのことです。そうすることにより生産性を上げているんですね。
初めは覚えることが多く、ラインについていくだけで精一杯でした。しかし、だんだんと慣れてきて、三ヶ月後にはそつなくこなせるようになりました。
ところが、ここからが地獄の始まりでした。
工場のラインでは基本的に単純作業の繰り返しになります。ですから、作業さえ覚えてしまえば実は楽だったりします。
私も何とかひと通りの作業ができるようになりましが、そこから時間との戦いが始まりました。
時間に追われるというわけではありません。逆です。時間が全然進まないのです。
作業してもしても時計の針が進みません。一時間位経っただろうと思って時計を見ると15分しか経っていないことが多々ありました。
これは苦痛でした。気が狂いそうになります。一日中同じ場所に立ち、同じ動作でネジを閉め続ける。これが来る日も来る日も続いていくわけです。
まるでシーシュポスの岩。そうです、ライン作業は現代に残された神話なのです。
シーシュポス
ギリシア神話の登場人物。神をあざむいたことで大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受ける。しかし、山頂に運ぶたびに岩は転がり落ちてしまう。これが永遠に繰り返される。転じて「シーシュポスの岩」は果てしのない徒労を意味する。
何とかいろいろ工夫してやり過ごそうとしました。歌を歌ったり(もちろん頭の中でです)、昨日見たテレビを思い返したりしていました。退屈をまぎらわすことに必死だったのです。
その中であみ出したのが、「頭の中で話を作る」ということです。
なんか危ない人みたいですが、子供の頃は誰しもがある程度やっていたことだと思うんですよ。いわゆる空想で遊ぶというやつ。
登場人物は現実だったり、空想だったり。場所や起こる出来事もそう。
これが結構楽しくて、なんだか癖になってしまいました。結局、その工場は腰を壊してしまい辞めることになったのですが、空想癖だけは残りました。日常でも暇なときには空想して時間をつぶしていました。
そうこうするうちに、この空想癖を利用して小説を書いてみようと思いたちました。私は派遣ループの人生でしたので、単純作業の時間は割とありました。その間にアイデアを練り、休日に書くという感じです。そして文学賞に投稿するようになったのです。それが今から5年前。
文学賞の方は何度か送りましたが一次通過止まりです。一度、短編小説が地方文学賞の審査員賞に選ばれたことがあります。まあ、パッとしない感じですよね。今ではもう情熱も薄れ、執筆はただの趣味となっております。
そういう経験があったので、noteのコンテンツを考えたとき、短編小説はどうだろうと思ったのです。
投稿してみると、スキを押して下さる方もチラホラいて嬉しい限りです。なかには自分で小説を書いている人も結構いて、私も暇なときに読ませてもらっています。
以上がnoteに小説を投稿を始めた理由です。
ジャンルとしては奇妙な話や不思議な話が好きなので、そういうのを書いていこうと思っています。もし良ければ読んでいただけると幸いです。スキやコメントを頂けると嬉しいです。
最後までお読み下さりありがとうございました。このnoteが、自分は創作とは無縁だと思っている労働者の方に届くのを願っています。
それではまた。