ストレスマネジメントとしての書く行為
今日から日記を再開する。一週間ぶりくらいか。
そこで上記の話だ。ストレスマネジメントとしての書く行為について語りたいと思う。
日記をつけていなかったこの一週間、私はストレスを感じていた。といっても、日記をつけていたときだってストレスは感じていた。だが問題はその後だ。
ストレスの処理という問題。
日記をつけていないと時間が増える。なんだかんだでこのnoteを書くという行為にだって、それなりの時間とエネルギーが必要なのだ。だから日記を中止していたこの一週間ほどは使える時間は増えた。
しかしそれが有意義な時間となるとは限らないのだ。
空いた時間で読書もできるし、睡眠時間を多めにとることもできるはずだった。だが結果としては無為に過ごすことが多くなってしまった。
だらだらとネットをし、ぶつぶつと世間へのグチをこぼし、その日にあったことを思い返してぼーっとする。すると、気がついたら十二時をまわっている。さらに椅子に座ったまま寝てしまい、深夜の三時頃に目を覚ますということすらあった。
どうやら日記をつけるという行為が、「生活リズム」を整える一つの区切りになっていたようである。それが失われることによってリズムがおかしくなってしまったのだ。
そして何より、日記を書くという行為そのものにメンタルヘルスケアという価値があることにも気づかされた。寝つき方がまるで違うのだ。
日記を書かずに寝ると、ベッドの中であれやこれやと思考妄想が飛び回り、頭はなかなか休まらない。しかし日記を書いてからだと、頭がクールダウンされているのだ。
書くことによる感情の吐き出し。そして何より、書きながら心の状態の整理、起こった出来事の整理が行われる。さらに、今書いた文章を見返しながら書くうちに、自らの客観視もできるようになる。
日記、恐るべしである。
というわけで、また日記を書き続けていこうと考えている。