黒いゴミ袋と3歳の私: 思考と飛躍の原風景
大人になっても、私たちは考えるときに出発点を間違え、因果関係を誤るものです。
子どもの頃の無邪気な間違いは、大人の思考プロセスと共通します。原型ですよね。
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1980年代、昭和後期。まだネットもパソコンも普及していない時代。ファミコンさえない、あの頃のこと。
私は3歳過ぎ、4歳手前。身長90cm強。だから、世の中はすごく大きく見えていました。大人の半分の視点、世界は広く、大人は強く見えました。まだ、大人が子どもだったことを理解していないくらい、幼い日。
うちの親は、ケジメを大事にする教育方針です。例えば、子どもが親に叱られた時に「聞き流せば大丈夫だ」と受け止めると、教育上望ましくない。だから、ダメなものはダメという厳しい面がありました。
例えば、片づけなさいと言われて、警告を甘く見て、おもちゃを一式捨てられたことが、一度あります。父はもったいないだろと母に言ったらしいのですが、子どもと真剣に向き合う必要があると母は父に伝えました。
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ある日、理由は覚えていないのですが、叱られ、玄関の外に立っているよう言いつけられました。いつもは、しくしく泣いて頭を冷やすのですが、その日は「いいこと」を思いついてしまったのです。
どういうことかというと——
だんちの ハナちゃんの おかあさんに
(分譲マンションの団地の、別の棟にあるお友達の家に行き)
おかあさんに しかられて 「たってなさい」
してるから ゴミぶくろで ぼくを
はこんでください
(お友達のお母さんに頼んで、黒いゴミ袋に入れて運んでもらえば、家に入れる)
——3歳児なりに必死に考えた結果がこれです。
80年代の黒いゴミ袋で幼児を運搬?
事件性しかない。
そう気づけず、「いいこと思いついた」と、ハナちゃんのお家へ行こうとしたところで、母に捕獲されました。
ドアの向こうで様子を見ていたのでしょう。
当時、30代の母が。
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この幼い頃の記憶から、子どもの考え方の特徴が見えてきます。
まず、考え始める出発点が間違っている。
次に、もっと単純な解決策(例えば、「トラガラちゃん、反省しているわよ」と、とりなしてもらうなど)を思いつかない。
そして、そもそも反省を求められている状況で、場を離れるのは約束違反です。
一言にすると、客観視が、ほぼ機能していない。
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しかし、こうした思考の特徴は大人になっても、起きますよね。事実確認しないとか。大人になって体が大きくなり、できることが増えてはいても、出発点を間違え、因果関係を誤って解釈し、客観視が留守になることはあります。
子どもの頃の無邪気な間違いは、もう僕らはしませんが、大人になっても何かしら間違えるものです。
この40年以上前の幼い日の記憶から、普遍性というか、人の持つ傾向を意識させられるのです。
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