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責任の所在、マクロと抽象、現代と群集心理のこと

三城俊一さんはじめまして。noteを拝読して、気づきがあったので、 #note感想文 を書かせていただいています。
皆様、どうぞお付き合いください。

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群衆心理の本質は、責任の所在が曖昧になることに見えます。人が群れると愚かになるのは、責任が分散されると錯覚し、個人の理性や倫理観が弱まると考えると、私は理解しやすいです。

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拙い自分の観点を述べると、常に責任の所在を意識しています。例えば、自分と他人の責任の線引きなど。

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群衆心理を自分の言葉で考えると、匿名性との類似点が浮かび上がります。匿名な状態は普段は言わないことを書いてしまう方もいます。例えば、誹謗中傷して誰かを苦しめることが起きがちです。これも群衆心理の一種に見えます。

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群衆心理の背景には、「みんながやっている」という誤解があります。これはネット上のエコーチェンバー現象やフィルターバブルとも関連するでしょう。まるで隠れ蓑のように、「これだけ集まっていれば何かしても大丈夫」という心理が働き、責任が曖昧になります。責任が無くなるのではなく、分かりにくくなります。

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しかし、群衆心理は短所だけでは無さそうです。日本の文化は真面目で同調圧力を気にする反面、お祭りの日には弾けます。クリスマスやハロウィンが日本風に再解釈されて根付いています。「祭りだ」と暴徒になるのは困りますが、多くの人が祝祭的な空気を楽しむことは文化です。

俯瞰すると群衆心理は、ミクロな個人ではなくマクロな集団に注目するため、個々の心の機微が見えにくくなり、大雑把な方向性が見えてくるため、雑というか荒くなります。

「あいつ、けしからん、せいばい」
「えほうまき、ちゃんと、たべたか?」

👆私の中の、マクロな群衆心理の例。前者は、炎上に参加してしまう正義感であり、後者は祭りを仲間が楽しんでるかの確認です。

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人が集まってお祭りをしたり、力を合わせたりするのは良いことです。ただし、群衆心理やネットのエコーチェンバーのような落とし穴があることを意識し、お互いに気をつけることは知恵です。

群集心理の脆弱性は人の仕様でも、我々が人類の普遍的な弱点やその悪用方法を理解することで、落とし穴を回避しやすくなりますね。

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