映画『はい、泳げません』 承認は水の中
主人公の長谷川博己が大学で哲学を教えているっていう設定が面白かったですね。
序盤特に印象的だったのが、結婚した教え子夫婦が婚姻届の証人になってくれと長谷川博己に頼みにくるシーン。
すでに子供を授かっていることを二人が告げたら、長谷川博己は「なんだ、もう承認されているじゃないか」って言うんですよね。開幕からギャグに振った演出とかやってたから、余計にここのセリフの違和感が際立ってて。
実際、承認はこの映画のテーマの一つでした。
物語が進むに連れて主人公夫婦は過去に水難事故で息子を失って、それがきっかけで離婚したことがわかってくる。
ああ、なるほど、子供の生誕は夫婦の絆の承認であり、2人はそれを失ったんだなと。
ただ肝になるのが、長谷川博己は事故の前後の記憶を失っているってところで。
だから事件に対する2人の心の距離がそこで明確に違っているんですよね。妻の麻生久美子はなんで一緒に泣いて悲しんでくれないんだって言うんですけど、長谷川博己はなかなか喪失を実感できずにいたように見えました。しかも、その亡くなった原因が泳げないという自身の不能と関係があるかもしれないとなると、益々複雑な気持ちがあったんではないでしょうか。客観的な責任の有無とは関係なしに。
そんな風にずっとそこが空白のまま過ごしていたけれど、ある日急に水泳教室に通い始める。
ただ、本人も理由がわかってないんですよね。シングルマザーの阿部純子に惚れてたから、状況だけ見れば同じ悲劇を繰り返さないためにって見方もできるんですけど、どうやらそうでもないらしい。
でも見ていくうちに、過去と、もっといえばトラウマと向き合うための行動だったんだなってことがわかってくるんですね。
水泳が上達するにつれて息子との記憶をどんどんと取り戻していく。そうして父親としての自分を振り返るわけです。
泳げるようになっていくにつれて記憶はどんどん更新されていき、当然その先にはあの悲劇が待っている。そこで一度はまた躓きかけるんですけど、最終的に乗り越えられたのは、あの悲劇の中で自分が取った決死の行動と、それを見た息子が必死に父の名を叫ぶ姿を思い出せたからだった。
長谷川博己は怖かったんじゃないでしょうか。息子の命が危険にさらされたまさにその時、自分は息子の救助を優先したのか、あるいは己の恐怖心を優先したのか。それを知ってしまうのが。
これは良くない邪推ですけど、混濁した記憶の中で、溺れた息子が本当に父の名を叫んでいたのかどうかってわからないじゃないですか。けどそれが事実かどうかは重要ではなくて、ただ、そう信じるに足る関係が二人の間にあったっていうことで。
そこで掴んだ希望は間違いなく生者のエゴだけど、しかしエゴがなければ人は生きていけないですからね。結局あとに残されたものは、そうして前に進むしかない。
で、最初の話に戻るんですけど、結局夫婦の承認は失われてなんてなかったよって話なんですよね。
息子の喪失をきっかけに夫婦二人の間で時の流れが違ってしまったから、二人は離れていくしかなかっただけで。それは別に、二人の絆が偽物だったとかそういうことを意味してるわけじゃない。
でも考えたら当たり前ですよ。
子供がいるから承認されているとか、いないから一緒にいられないとか、そんなわけないですから。
でも、だからこそ二人がまた別々に新たな人生を歩みだすためには、そのことに何か踏ん切りをつけるきっかけが必要だった。
そのために、長谷川博己が自分の根本的な恐怖心に向き合わなければならなかったってことなんじゃないですかね。
とまあ、トラウマを乗り越える再生の物語として、心の深い部分を丁寧に描いた内容は予想に反して良かったです。この映画で泣くことになるなんて、見る前は予想してなかったですしね。
ただ不満も少しあって。
綾瀬はるかの役どころがなんか腑に落ちなかったんですよね。まあインストラクターは必要なんですけど、交通事故のトラウマがあって水中の方が自由でいられるっていう設定がイマイチ活きてない、というか取ってつけたような感じがして。最後までどういう人なのか掴みかねて終わっちゃいました。
あと、映像の作り、演出がお話の雰囲気に沿っていないように思えたのが勿体ないというか、一部の演出はもうめちゃくちゃノイズでしたね・・・。
冒頭の納豆のシーンとか本当にいらなくないですか?
物語が丁寧に展開される作品なのに、映像でああいうことをされても滑ってるというか・・・。シリアスなシーンでも何か余計なことしてくるんじゃないか?って警戒しちゃって。まだ笑えればいいんですけど、そんなこともなく。
そういう意味では、誰をターゲットに作ったのかがよくわからない作品でしたね。もう少し映画全体のトーンはなんとかなったような。
あ、でもアザラシはかわいかったからオッケーです。
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