教育ログ22人目(東大寺・現役→京大経済)
0.今回の教育答え合わせさん
→東大寺学園から京都大学経済学部に合格された金太マカオに着くさん。今改めてご自身の教育を振り返った結果はこちら!
「両親には不満は全くなく、自分自身もなんだかんだで、その時々に頑張ったと思えること、中学受験も大学受験も希望通りの進学ができたことから、高得点をつけた。」
と語る金太マカオに着くさんの教育答え合わせに迫ります。
1.回答者略歴
Q:お名前を教えて下さい。
→金太マカオに着く
Q:年代を教えて下さい。
→アラフォー
Q:ざっくりのご職業・業界を教えて下さい。
→地方議員
Q:ご自身の幼少期のキャラクターについて教えて下さい。
→無邪気、呑気、陽気
Q:ご自身の性格について、以下の観点でお答えください。
Q:最終学歴を教えて下さい。
→京都大学経済学部(学士)
Q:そこまでのルートを教えて下さい。
→公立小学校→(中学受験)→東大寺学園中学・高校→京都大学(現役)
Q:大学合格時点での学習能力の自己採点をお願いします。
Q:ご自身の各学習能力に関してどう考えていますか?
・中学高校の時は周りが賢すぎたので、自分の理解力が高いとか要領が良いとかは思ったことがなかったが、大学入学以後は、比較的高い方だと感じるようになった。
・勉強より興味のあることがたくさんあったが、浪人は絶対したくないという気持ちもあり、遊びも恋愛も捨てずに勉強するために、勉強は嫌々ながら空き時間はサボらずに勉強していた。
Q:教育の得点配分を教えて下さい。
2.保護者の教育スタンス(配点30点)
Q:ご家族の最終学歴について教えて下さい。
父 東京大学
母 短大
兄 慶應義塾大学(中退)
Q:保護者の教育方針はどのようなものでしたか?
→3月生まれで発育が遅い上、注意欠陥・多動の傾向があったため、小学校2年生までは、何もかもが出来ない子だったことと、2つ上の兄が神童とも呼べるくらいの天才児だったので、両親からはあまり勉強という意味では期待されていなかった。
小学校3年以降は、成績が急激に上がり、兄と同様に進学塾に入り、中学受験をすることにはなるが、相変わらず期待はほどほどに、伸び伸びと育てられた。
中学以降は、基本的に自主性に任されて、勉強のことで何か言われたことはない。
Q:その教育方針はご自身の学業にどう影響したと思いますか?
→プレッシャーを感じずに、勉強できたので良かった。
Q:お兄様が「神童とも呼べるくらいの天才児」とのこと、具体的なエピソードを教えて下さい。
→中学受験の全国模試で常に一桁の順位を取っていた。小学校入学前に算数ができていたとか、本を読んでいたとか、親が言ってた記憶がある。
Q:そのお兄様に対しての劣等感やコンプレックスみたいなものはなかったのでしょうか?有無の発生要因もあわせて教えて下さい。
→兄とは、昔から仲が悪く、年を重ねるごとに関係が悪化して今や絶縁状態なことも影響してか、兄への劣等感やコンプレックスを感じたことはない。ただただ嫌いという感じ。
どちらかというと、小学校3年で勉強が突然できるようになった時に多くの大人が手のひらを返したことへの嫌悪感は未だに残っている。
Q:ご両親は学業に関してどんな接し方でしたか?
→母親は必要なものは何でも提供するけど自主性に任せるスタンス。
父親はそもそも関心がなさそうだったが、わからない問題を聞くと教えてくれた
Q:今振り返って学業につながった、家庭内の文化や習慣があれば教えて下さい。
→兄が先に中学受験していたのでイメージしやすかった。
Q:ご両親の教育スタンスについての小計を教えて下さい。
→兄に対しては、期待が大きすぎて口出しをしていたようだが、その反省からか、私には必要な環境を全て整えてくれた上で、基本的にはプレッシャーをかけずに自由にやらせてくれた。
3.~小学校時代※小学受験含む(配点30点)
Q:小学受験はしましたか?
→していない。
小学校から私立だと知り合う人間関係の幅がでないという方針で地元の公立小学校に通わせたと後々聞いた。
Q:小学校の頃の学業成績について教えて下さい。(全6レベル)
→3月生まれで発育が遅くい上、注意欠陥・多動の傾向があったため、小学校2年生までは、何もかもが出来ない子だった。
小学3年生で覚醒し、全てのテストが100点で返ってくるようになって以来、学校内では常に1番だった。塾では、4年生から6年生にかけて徐々に成績が上がり、6年生の時は偏差値65~70位で安定していたが、特進クラスで中位より少し上くらいだった。
Q:小学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→放課後に電車に乗って塾に行き、学校外の友達ができることがとにかく楽しかった。
塾の友達に、勉強で負けたくないという気持ちが強かった。
Q:小学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→小学校には遊びに行く感覚だったので、息抜きのような場所だった。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
Q:小学校まで習い事は何をやっていましたか?
Q:学習貢献度の高い習い事について、始めたきっかけを教えて下さい。
→兄が先に進学塾に通っていたため、小学校3年生の時に来年から通いたいかを母に聞かれた。なんとなく家庭内の暗黙の空気で中学受験した方が良いように感じ、通いたいと答えた。
Q:習い事についての振り返りをお願いします。
→中学受験に関しては、100%塾による成果で他の習い事は一切影響していない。
Q:今振り返ってやればよかったと思う習い事は?
→特にない
Q:小学校までの読書について教えて下さい。
→塾で課題として出される読書感想文のために年に数冊読んだ以外は、ほとんど読んだ記憶がない。
Q:読み聞かせの記憶などはありますでしょうか?
→読み聞かせは普通程度にしてもらったと思うが、熱心にしてもらったという感じではない。
Q:読書量が学習能力に与える影響についてはどうお考えですか?
→国語が相対的に苦手科目だったのは、読書量が少なかったからかもしれない。社会人になってから山ほど読書するようになって、国語力が上がった気がする。
Q:当時熱中していたことは何ですか?それは学業にどう影響しましたか?→ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどのRPG、ジャンプコミックスなどが好きだった。受験期も息抜きで、結構やっていた記憶がある。メリハリが大事なので、良かったと思う。
Q:小学校時に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→塾で合掌黙想をするのだが、勉強させてもらえる環境を親に感謝しながらするように言われていた。
Q:小学生時代の教育環境の小計を教えて下さい。
→中学受験で通った成基学園がとにかく相性が良かった。電車で遠出して通塾するワクワク感と学校外に友達ができる嬉しさがあって、塾に行くのが楽しみだった。
当時の成基学園の先生は、引退した校長先生が多く、受験受験とガツガツしていなくて、自主性を重んじる空気があり、良かった。塾のクラスメイトが良いライバルになり、勝った負けたと張り合っているうちに成績が上がった。
4.中学時代※中学受験含む(配点10点)
Q:私立の中学受験は考えましたか?
→中学受験をし、中高一貫の東大寺学園に入学
Q:東大寺学園を選ばれた理由などがあれば教えて下さい。
→兄が既に通っていたことと自由な校風と聞いてたから。
あと、当時は、東大寺と洛星、洛南が全て別々の受験日で、どこかに受かればどこでも良いと考えていたが、他2校の受験日より先に東大寺の合格発表があったので、東大寺に受かった瞬間に他はどうでもよくなって、1校目で早々に受験を終了したという感じ。
Q:中学行時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
→常に学年で下から10~20番くらいを彷徨っていた
Q:中学生当時の勉強への意識はどのようなものでしたか?
→高校受験がないため、全く勉強する気がなかった。
Q:中学校の教育環境についてはどう考えていますか?
→勉強を全くしてなかったこともあるが、同級生が賢すぎて、勝てる気がしないと思っていた。
Q:学習能力という観点で、東大寺学園の中におけるご自身のレベル感はどの程度だったのでしょうか?
→能力的には、ちょうど真ん中くらいではないかと思う。受験のスイッチが入らない同級生も結構いたので、高3の時は成績的にはもう少し上だった。なお、上位10%~15%は別次元に賢い感じがしていた。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
→中間テストと期末テストの期間の一夜漬け以外、勉強した記憶がない
Q:中学校時の習い事について何をやっていましたか?
→中学で成績があまりにも悪くなったので、親に薦められ、高校受験のない進学校を対象とした塾に通学するも、モチベーションがなさすぎて、すぐに辞めた。
Q:習い事について学習能力への影響を教えて下さい。
→やる気が全くなかったので、時間の無駄だった。
Q:中学時代に学習・進学などで記憶に残る言葉はありますか?
→中高一貫と言っても、成績が悪すぎたら高校に入れないよ
Q:中学校時代の教育を振り返ってどう評価しますか?
→全く勉強しなかったし、成績も最悪だったが、長い目で見ると心置きなく遊んだことで高校の後半に頑張れた素地になったと思う。
5.高校時代※高校受験含む(配点30点)
Q:私立の高校受験は考えましたか?
→中高一貫校だったので未受験
Q:高校時代の学業成績について教えて下さい(全7レベル)
Q:高1まで成績が最下位グループにいて、周りの学友も同じように一所懸命に勉強してる中で、学年順位をグングン上げるというのは、なかなか誰にでもできる事では無いと思いますが、それができた秘訣はどこにあると思われますか?
→高3の最後まで受験にスイッチの入らなかった同級生は結構いた感覚がある。そうでない人も塾に行って勉強した気になっている人が多かった。
つまり、勉強時間ではなく、勉強量で勝っていたと思う。
Q:毎日どれくらい勉強していましたか?
→放課後は恋人や友人と遊びたかったため、通学時間と学校の授業中をフルに勉強に充てた。特に、学校の授業中は、授業を聞かずにひたすら問題集を解いていた。
Q:どのタイミングで京大を志望されたのでしょうか?またお父様が東大卒とのことでしたが、東大は意識されませんでしたか?
→元々は、高2の時から付き合ってた恋人が大阪大学志望だったので、一緒に阪大にいくつもりでいたが、高3の夏にフラれてしまい、何となく腹が立って京大に切り替えた。
東大寺は進学先が京大に偏重していることと、東大より京大の方が自由な校風だと聞いていたので、東大に行きたいと思ったことはない。
Q:習い事は何をされていましたか?
Q:それぞれの習い事はどう活きたか教えて下さい。
→河合塾は、テキストや問題集が役に立ったが、授業中はひたすら問題集を解いていたので、どんな授業だったか記憶にない。
Q:高校以降の教育を振り返ってどう評価しますか?
→学校全体が、高2の学園祭が終わったら受験という空気感があったことと、個人的には当時付き合っていた恋人が女子高でトップクラスの進学校の子で国立大学の受験を目指していたため、それに触発され受験のスイッチが入った。
受験を半ばあきらめている同級生もいて、彼らからの遊びの誘いは絶対に断りたくないという気持ちが強く、通学時間と学校の授業時間を勉強にあてた。同級生に賢い友達が多かったので、通学時間はわからないところを質問攻めにして教えてもらった。これは本当に助かった。
5.答え合わせを終えて
→現在、小学校5年生の娘が中学受験に向けて勉強しているが、思うように成績が伸びないので、自分のことも振り返ってみると役に立つかと思いやってみた。
改めて、子どもに勉強を自走させるのは難しいと思った。私はたまたま、小学校の時の塾が合っていたことが功を奏した(もしかしたら私の気づかないところで親が動機付けしてくれてかもしれない)が、親から娘に口うるさく言っても逆効果だし、放っておいても頑張るわけではない。かと言って、小学生に勉強の大切さを説いたところで理解できるとは思えない。未だに悩んでいる。
そんな中ではあるが、例えば旅行はできるだけ色々なところに行って、ご当地のことを話題にしたり、テレビを見ているときもできるだけ関連する色々なことを話題にだしたりして、物事に興味関心が湧くように工夫している。これも効果がどれほどあるかわからないが。
最後に、学歴より学力、学歴より仕事での成果という考えの私自身が、それでも我が子には良い学歴をと思ってしまうところに矛盾を抱えている。
6.採点後面談
どうも、#1のカラシカシです。以下、主だったところでの僕の感想です。
①覚醒のタイミングは人それぞれ
これまで20人の答え合わせを見てきて一番の収穫はやはりこのポイント。生まれつきにして本当にごく幼少期から『神童』だった人なんて、実はごくわずかなんだなということ。
この点は大いに誤解していたなと思いました。焦らず、それでいてその覚醒を促す環境を我慢強く設定し続けることが大事だなと感じた次第です。
②学歴について
一番インパクトがあったのは最後のこの言葉
「学歴より学力、学歴より仕事での成果という考えの私自身が、それでも我が子には良い学歴をと思ってしまうところに矛盾を抱えている。」
僕が#1の中で若干ごまかし気味にいったことを、潔く明確に言語化されたなと思いました。
僕の直接の知り合いである京大生の中では非常にクレバーで思考(及び感情との切り分け)の整理に長けた方なので、その方をもってしってもその矛盾は解消できないのか!?と驚きをもって受け止めつつ、いわんや自分をやと少し安心したり。
皆さんのご感想も是非コメントで教えて下さい!