長い物には巻かれろ
まだ幼かった頃、外に雑に咲いてる花を見つけて摘み取っては すき、きらい、すき、きらい と花びらを1枚ずつとって好きか嫌いどっちで終わるかというのをよくやっていた。
大人になってからそれは「花占い」と呼ばれていることを知った。
別に知りたくなかったわけでもないし、ちゃんと名前があるのかという驚きもあり素直に感心した。
でももし今でも花占いなんて呼び方を知らなければ、ジーワジーワと蒸し上がる暑い季節に家の近くの空き地でむしり取った名前も知らない花を見つめながらとても小さく細い声で「すき、きらい、すき、きらい…」と呟いていたノースリーブ姿のわたしが、なんと言うかこう…上手い言い方が浮かばないけれど名前のない特別な思い出として記憶に残ったのかなとかも考えてしまう。
大人になるなんて沢山のことを知っていくことだ。
知れば知るほどその分不自由になる。全てに名前がついていて、整えられた道を上手に進んでいく、不自由な生活を強いられる。それが大人なんじゃないかなとも思う。
悪く聞こえるかもしれないし、今社会人をしている人がこれを読んだら憤慨するだろう。
私はこう思った、と云うだけ
でもいくら不自由でもいいからはやく楽になりたい、と願う自分が好きじゃない。
不自由じゃないうえで安定した暮らし、なんてどこに存在するのか知らないけれど、それがあるのならそれが一番望ましい。
結局自分がこれからどれだけやれるか、踏ん張れるか、要領良く生きれるか、学ぶ姿勢を崩さないか、努力するか、これらにかかってる。
思い通りになるわけない私の人生これ以上無いくらい堪能してみます。