努力を才能という言葉で塗り替えられた話
「からっぽちゃんっていいよね、たくさんの人に慕われてて。」
異動してきた同い年の女にそう言われた。
彼女は精神疾患があり、一度休職したのち戻って来たが、結局前の職場でまた病み、わたしのいる部署にやって来た。
わたしの部署は、とても優しい人間が多いと言われている。そのため、働きやすい環境と周りに思われているため彼女はやって来た。
異動して来て数ヶ月経ち、彼女が周りと馴染んだ頃、わたしはそう言われた。
文面だけ見れば、ただ褒めてくれているように思えるのだが。
人の振り見て我が振り直せ
わたしの中で肝に銘じている言葉である。
こう言われたら嫌だな、これをされたら嫌だな、
これを言われたら嬉しいな、これしてくれたら嬉しいな、
そういったことをこの20数年で培って来たのである。
周りからはぶられた時を思い返して、わたしの何がいけなかったのかを考え、行動を改める。
わたしは何も善人ではないし、優しい人間ではないし、他人から慕われていると思ったことはない。
ただ、周りの人よりもほんの少しだけ悪い部分を見直す機会が多かったのだ。
「からっぽちゃんってほんと元気だよね。」
「からっぽちゃんっていつも笑顔だよね。」
「からっぽちゃんの“それ”って才能だよね。」
わたしは一度鬱になったことがある。
起きることも難しく、立って歩くことすらままならない。移動は地面を這ってして、ご飯は喉を通らない。
今でも日光は少し苦手だ。
治った、と言っていいのかわからないが、日常生活を送れるようになったきっかけは、今と向き合うことを知ったから。
わたしは彼女に励ましの言葉を使うことはないし、アドバイスもしたことはない。が、彼女が自分の口から病を話してくれた時、少しだけこの経験を話した。
したいことをしよう。と話して、彼女と2人で泣きながらお酒を飲んだ記憶がある。
だから、彼女にそう言われた時、わたしの心が壊れたような気がした。
わたしの元気は生まれ持った才能らしい。日々口角を上げ続ける努力も才能らしい。その場を明るくしたいと願うこの気持ちも才能らしい。
たくさん考えて悩んで行動しているのに、パッと思いついたことのように、彼女は軽く捉えているらしい。
彼女にだけは言われたくなかった。
同じ経験をしたはずの彼女には、そんな言葉でまとめて欲しくなかった。
ぷつん、と切れた糸が無様に床に垂れ下がる。
またあの日々に戻ってしまいそうだ。
彼女と関わるのはやめよう、とそっと距離を置くことにした。