見出し画像

…ルーツを知らない…でも!

本日(11/3)でnote連続投稿100日目になりました✍️


そこで
ちょっとダークになりますが
自分のことを書いてみようと思います

自分のことを
それもこれまで誰にも話したことがない、文章にもしたことがないことを…
上手く書けるのか?
勇気も要りますね〜

実際、「公開」ポチするのに勇気が要りました(汗)


あ、この記事以外はぜーーんぶ
明るい内容だから✨
引かないでね🤭 




父が居て
母が居て
私が居る

人はひとりでは生まれて来れないから


私の父母はもう居ないけど
父にも母にも
可愛がられて育った

特に父は私には甘くて
私も父親っ子だった

かなり大きくなるまで膝の上に乗っていたし
車に乗せて、どこにでも連れて行ってくれた


母はバタバタと家事や仕事をする気忙しい人で
それでも私がやりたいことは笑顔でやらせてくれた

私が学校で褒められると、母は自分のことのように喜ぶ人だった



そんな絵に描いたような親子
それが父母と私




ところが


まだ幼少期の頃…

近所のおばさん(当時の私には おばあちゃんに見えたけど)に言われた
「あんた、貰われて来た子やろ?」


意味が分からなかった

それからも
たまに似たようなことを言われた



何故、大の大人が
年端も行かない小さな女の子に
そんなことを言うのだろう…


分からないなりにも
何故か聞いてはいけないことを聞いてしまったような…
そんな気持ちだった


父母には
そんなことを言われたとは
言えなかった

だからアルバムを見た


アルバムには、赤ちゃんの時からの写真があった

ホッとした
でも、なぜか涙がポロポロと溢れたのを覚えている

…まだ幼稚園の頃だった




小学生になっても
そうしたことがあった
親に聞いたのだろうか
小学生の子どもが私に言った
「貰われっ子なんやろ?」



私は仏壇の下にある引き出しを開けた
そこには小さな木箱が入っていた
前に親戚の家で同じような箱を見て、何の箱か知っていたから…

臍の緒が入った箱…
上蓋に、茶色く褪せた紙が貼ってあって
名前が書いてあった
まだ小1の私には読めなかった漢字で、上の方に2人
下に1人
3人の名前が並んでいた
多分、下のが私?

箱の中には、何やら干からびた根っこのような物…
その時は、そのまま蓋をして仏壇の引き出しに戻した


ずっとイジメを受けていた訳ではなく
「貰われっ子なんやろ?」
と言った男の子も、悪気はなかったのだと思う
ただ親か祖父母に聞いたこと…或いは噂話をしてるのを聞いて、それを私に聞いただけだったのだろう
決してイジワルな子ではなかったから


小さな事件は小6の時に起こった
事件と言うほど大層なことではなかったけれど
またしても同じクラスの男の子に言われた
前よりも、もっと酷い言葉で
「捨て子なんやって?」

これにはさすがに傷ついた
「違う!」
と大泣きしたら、その男の子はビックリして黙った

この時はクラスで騒動になって
担任の先生まで出て来た
そして、なぜ私が泣いているのか聞いて来た
私は絶対、原因となった理由を言わなかった
言ったら親に知らされる、と思ったからだった

もし、こんなことを知ったら…
父は激怒し、母は悲しんで泣くだろうと

先生には誤魔化して、違うことを話した
嘘を付いた…先生に付いた初めての嘘

男の子にも「本当のことは言うな!」と強く言った
小6の私は気の強い方ではなかったのに、今思うとよくやったと思う(笑)




忘れていた木箱を思い出して、家に誰も居ない時に仏壇の引き出しを開けた
木箱に貼ってあった紙
名前が読めた
真ん中が私の名前
上に書いてあったのは
(父)◯◯ ◯◯
(母)   ◯◯◯

苗字が、聞いたこともない名前だった
もちろん、下の名前も…



私、このおうちの子じゃないの?


周りの色が一瞬で消えたような気がした



それでも
父母には何も聞けなかった


その後…
仏壇の引き出しの中から
いつの間にか木箱は消えていた



中学生になって
何に必要だったのか覚えてないけど
戸籍謄本を見る機会があった

動悸がするくらい緊張しながら
書かれてあった内容を見た

「長女」と書かれてあった
養子ではなく

戸籍には、父と母の実子として登録されていたのだ


何が真実なのか
何が嘘なのか

分からなくなった




父母は相変わらず私を凄く可愛がっていた

父は、私の誕生日にはデカいパンダのぬいぐるみをプレゼントしてくれた
中学生なのに(笑)
あんなにデカいぬいぐるみ…袋にも入らないのに?
それを抱えて、店から駐車場まで歩いたのだろう
私の喜ぶ顔を想像してニコニコしながら
すれ違う人達がビックリして見て来ても、きっと恥ずかしくなかったんだろうな


母は、とにかく私のことが一番の人だった
近所や親戚の人達に、すぐ私の自慢をする人で
「やめてくれ〜」
と思っていたけれど(笑)
嬉しくもあった
母は学歴の無い人だったから、私が良い成績を取ると本当に喜んでくれたのだ
幼稚園、小学校、中学校、高校
卒業式の日には必ず泣いていた



大学受験の時
初めての東京に、これまた東京初めての母が着いて来てくれた

合格後、部屋を借りるために
今度は父が一緒に行ってくれた
私を残して父がひとりで東京を去る時、
「寂しくなったら帰って来い」
と言って…


私の結婚式では
2人とも泣いていた


だから


もう


自分が、実子か養子かなんて


考えたり悩んだりするのを

やめた


やめたのだ






なのに


結婚して何年も経ってから


ある人から電話が来た



年齢の高い女の人の声だった


「会いたい」と…


名前は名乗らなかった

その頃、健康スポーツ関係でよくテレビに出ていて
また単発で、環境問題がテーマの時にはコメンテーターで出演したりしていた
それを観て電話した、と

でも直感的に思った


きっと
多分

…………だろう


本当は、思い悩んでいた頃
一度は会ってみたいと思っていた
その人だろう


結局、、、
名前も連絡先も告げないまま


それっきりになった



そして今の私が居る
父も母も
私に沢山の愛情と思い出を残して
旅立った

それでいいじゃん?



今 私は

地球環境のこと
保護犬猫を通じた動物愛護のこと
健康スポーツのこと

色々な未知の世界にチャレンジして
形を作ることが出来た

全部、父と母のおかげ♡

「私の父と母」は
  あなた達だけ
  他には居ない!


父と母が居たからこそ
私は教育を受けられ
女優への夢を持ち
「好きな道」に進めた

そして

最初の「好きな道」は卒業したけれど
また「新たな道」を作って
今こうして歩んでいる


生まれ育った過去があるから
悲しみも喜びもあったから

その延長線上に「悩んで涙していた頃とは全く違う、今という未来」がある



血筋のルーツは
もう分からないし
探さない

そう

《これが私の生きる道》


そんな歌があったね🎵







いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集