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だからさ、死んじゃだめだよ。14歳の君たちへ

『両手にトカレフ』ブレイディみかこ 著:ポプラ社

 若い君たちへ
 この本はね、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のブレイディみかこさんの初の小説らしい。あらすじはこんな感じ。

 イギリスに住むミアは、君たちとおんなじ14歳の中学生。薬物中毒の母親と弟のチャーリーと暮らしてる。父親はいなくて、母はジャンキーで仕事や家庭のことも出来ないから、すごく貧しい。代わって8歳のチャーリーの世話もミアがやってる。
 そんなミアがある日、図書館で一冊の本に出合うんだ。それは今から100年ほど前に日本に住んでいた女性が書いた自伝だった。彼女の名前はカネコ・フミコ。若い君たちは知らないよね?金子文子、実はぼくもそんなに詳しくはないんだ…だけどとりあえず聞いてほしい。
 フミコもミアとおんなじような家庭環境でね、負けず劣らず過酷な人生を生きている。父親は働かず、家族に暴力を振い、あげく出ていく。フミコの親は正式に結婚もしていないから無籍の者と扱われ、学校も行けない。ひどい話だ。正式に結婚していない家庭の子供は、社会から居ないものとされちゃうなんて。
 でね。可愛がってきた弟とも引き離されて、そのあと祖母に引き取られて朝鮮へ渡るんだけど、その祖母から激しい暴力を受けるようになる。今の感覚で言えば、完全に児童虐待だよ。でも、これが今のフミコの家だから、文句も言えないんだよね。子どもであることは牢獄でもあるんだ。
 そんな似たような境遇のミアとフミコの話が交互に、語られていく。
 ミアの同級生のウィルはミドルクラスの比較的裕福な子。ウィルはクールなラップをやってて、ミアにラップを教え始める。彼が教えてくれたのは、詩人でラッパーのケイ・テンペスト。そのリリックがまるでミアのまわりのことを歌っているように思えて、ラップにのめり込んでいく。ときにウィルのミドルクラスの価値観や偏見に傷つけられたりしながら、交流を深めていく。ウィルも悪気はないんだけどさ…。
 でもね、ミアとフミコが共通しているのが、ふたりとも行く場所がないんだ。それっていちばんつらいことだよね。だからいつも、ここではない別の世界について考えてる。でもミアは幸せだ、本に、ラップのビートやそのリリックに、居場所を見つけることが出来たから。そう、居場所はね、なにも場所だけじゃない。しかも、言葉は武器になる。射抜く銃さ。両手にトカレフ、無敵だよ。
 最後はね、ミアの周辺である事件が起こる。どうなると思う?それは、君たちが読んで確かめてほしいな。

 ミアの生活や境遇は、今で言えばヤングケアラーだ。でも、彼女の境遇はケアラーというより、サバイバーと言う方が適切かも。そう君たちと一緒だ。生き延びた人なんだ、だから君はとても強い。忘れないでほしいよ。
 ミアとおんなじで親の裏切りはキツいし、近しい大人は醜いし。でもね、イギリスは社会福祉の国なんだって。福祉ってのは弱い立場の人に手を差し伸べるってことだよ。ぼくたちの国はどうかな?
 大人はどう君たちに手を差し伸べることが出来るのか、ぼくたちも試されている。でも、ぼくは諦めたくはないな。

 著者のブレイディさんはインタビューで、主人公のミアは子供時代の自分に近いって言ってた。貧乏のなかで、インテリだった祖母の本棚にあった本を読んで育った。祖母が読んでたのは、瀬戸内寂聴の大正時代の女性たちを描いたシリーズ。大正時代なんて、君たちのおばあさんでも知らないんじゃない?ブレイディさんが、金子文子を知ったのは寂聴さんの『余白の春』という文子の自伝小説を読んだから。えっ、じゃくちょー知らない⁉テレビで観たことない?仏さまみたいに、ニコニコしたおんなのお坊さん。でも実はえらい小説家なんだよ。その人が金子文子の自伝小説を書いた。さぁ、次読む本、決まったね。
 
 ともかく。100年前の日本の少女と、今を生きるイギリスの女の子が結びつく。ガール・ミーツ・ガール。時空を超えるような深い共感能力のことを、難しい言葉でエンパシーと言うんだって。エンパシー、つらい境遇を生きて抜いている君たちなら分かると思う。

 見上げた空がこんなにも広くて蒼い、と気づくだけで世界は変わる。違う世界への入口は、わたしが変わること。それで世界は変わるんだ。
 物語の最後に、ウィルがなかなか素敵なことを言うけど、そういうことだよね。だからさ、死んじゃだめだし、諦めちゃだめだよ。

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