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新年のご挨拶

1.グローバリズムの終焉

みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年2022年は、新型コロナの問題も落ち着かないうちに、ロシアのウクライナ侵攻というまさかの戦争状態まで加わって、とんでもなく大変な状況となりました。

感染症のパンデミックも戦争も、どちらも強く国境を閉じさせ、世界を個別化させてゆくものです。

ですからそういう意味では、世界中がボーダレスとなって物や人が大移動することを是として成り立ってきたグローバリズムが、一気に覆ってその危うさを露呈することになり、終焉を迎えた年でもありました。

2.新しい戦前と変わらない日本

昨年末に放送された「徹子の部屋」という番組の中で、タモリさんが「来年はどんな年になりそう?」と問われて、「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えたことが、ニュースやSNS上で話題になっていましたが、そのような緊迫感を持っている方も増えてきたということなのでしょう。

戦争というのは、今回のロシアが行なったような分かりやすい形式ばかりではありません。

あれはあれで、まさかの旧スタイルに度肝を抜かれましたが(まさか戦車で攻め込むとは…)、侵略というものは、やろうと思えばそれこそウイルスたちが行なっているように、もっと狡猾に気づかれぬように行えるものです。

それこそ今だって、私たちの周りだって…。

日本の国防を考えようというときに、現在の世界情勢の中で「トマホークミサイルによる敵基地攻撃能力」なんていう発想をしている時点で、もう本当にその昭和なアタマに愕然としてしまいます。

その発想は、大戦中の「インパール作戦」とか、今回のコロナの「ひたすらワクチンのコロナ対策」とか、そんなものと被ってなりません。

そこには「兵站(へいたん)とか考えるより、とにかく敵本体をぶっ叩けば良い」みたいな発想の仕方が表われていて、あまりに安直で短絡的で、日本は昭和からまったく変わっていないのだな…と、愕然としてしまうばかりです。

知らない方のために説明しておくと、「兵站」とは、戦闘地帯の後方で行なわれる配給や整備や衛生といった、あらゆる活動を支える支援活動のことを指します。

先の大戦では、「兵站」を軽視した日本軍の無理な作戦がたたって、戦死者の6割近くが「餓死」であったとも言われていますが、その最たる例としてよく挙げられるのが「インパール作戦」なのです。

そして、日本は未だに「兵站」を軽んじているのです。

食料も資源もエネルギーも輸入に頼って自給することをおろそかにしながら、ミサイルをいっぱいそろえて敵に打ち勝つつもりなのです。

国民のそもそもの心身の健康や免疫を高めることをおろそかにしながら、ワクチンをいっぱいそろえてコロナに打ち勝つつもりなのです。

「いやいやいやいや、それより前にやることがあるでしょう」と思わずにはいられません。

3.護るべきもの

「食料」とか「資源」とか「エネルギー」とか「免疫」とか、もっと言えば「人そのもの」とか、そういうものこそが兵站であり、国力であり、日本という国の本体そのものであるはずです。

それらを強靱にすることをおろそかにして、「敵基地に向けてミサイルを並べよう」とか「増税して政府の財政を黒字化しよう」とか、私にはトンチンカンな発想としか思えません。

国として肝心カナメな部分を「安く済むから」という理由だけで、ヨソへと放り投げてきた日本を滅ぼすのにミサイルなんか要りませんよ。兵糧攻めで終わりですし、もっと言えばそんなことすらしなくて良いでしょうね…。

新年早々、まるで愚痴のようなことばかりつらつらと書き連ねてしまいましたが、とにかく今私たちは大きな転換点にあることは間違いありません。

「私たちが生きている」という事実を支えてくれている、さまざまなモノやコトやヒトたち。それらはすべて何気なく身の回りにあふれているモノやコトやヒトたちです。

つまりそれは、新鮮な空気であり、清潔な水であり、安全な食料であり、安定したエネルギーであり、それらを生産し届けてくれるヒトたちであり、そのヒトたちが幸せに働ける職場であり、安心して子育てのできる環境であり、それらをつなげるさまざまなインフラです。

ついつい忘れてしまいがちなそれらをきちんと想って、その支えてくれている事実に感謝を持って、その気持ちを具体的に示すこと。

それが、私たちが心がけてやるべきことであるでしょうし、政府という「公の長」がやるべき「すべて」であると思います。

護るべきものとその方法を勘違いしてはいけません。

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