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師匠を持つ


1.弟子入りのススメ

「師匠を持つ」ということを、私はしばしば人に勧めています。何故なら、人は師匠を持つことによってその人生が非常に豊かなものになると確信しているからです。

私自身は整体を学ぶ上で、師匠に弟子入りして学んできました。整体の手技の世界というのもいわゆる職人技の世界なので、その技術を学ぶ際には、師匠の技を見て、真似しながら体得していく、いわゆる「見て盗む」ということが主です。

もちろん師匠は言葉でも教えてくれますが、身体操作というのはそんなに明確に言語化できるものでもありませんから、師匠がきわめて感覚的に言語化した独特な表現から、いったいどのような身体操作を行っているのか推測していくしかありません。

それはとても大変な営みで、私自身も「いったいどういうことなのか」と苦悩しつつの学びでしたし、師匠も覚えの悪い弟子を前に「いったいどう伝えようか」と苦労されていたことと思います。

正直、「もうやめようか」と思ったことも何度もありました。技術も難しいし、師匠の言っていることもよく分からなかったりして、学びが遅々として進まず途方に暮れてしまったのです。

そんなとき、地方で行われた研修会に参加されていたあるご年配のお弟子さんが、何気なしに、まるで自分自身に言い聞かせるようにつぶやいていた言葉が心に残りました。

「一番大事なことは『やめないこと』や。やめるのはいつでもできる。長く続ける秘訣はただ『やめないこと』や。続けていれば身に付いてくる」

誰に言うでもなく噛んで含めるようにつぶやいていたその言葉は何とも耳に残って、結局私はその後十年以上にわたって師匠についてその下で学び働き、それから独立したのでした。

2.師匠の資質

封建的で古めかしい教育システムである「徒弟制度」というものは、さまざまな現場で、時代に合ったクリアで公正な教育システムに徐々に取って代わられていきました。

ただ、公正性と利便性を求め、人も場所もカリキュラムも代替可能な教育システムが発達していく中で、いわゆる「余人をもって代えがたい」教育経験というものが少なくなってきてしまったことも事実です。

何か起こったときにサッと講師を替えたりコースを替えたりといった代替案が用意される教育システムの中で、人は「続けること」の意味を見失いかけているようにも思います。

私が一人の師匠について学んだことは「続けること」の意味です。

「対話を続けること」「学びを続けること」「理解を続けること」。

こう言ってしまってはなんですが、師匠というのは理不尽なものなのです。理不尽で不可解で、それでもそこから何かを得るために理解しようと対話をし続けなければならないもの。

いや、むしろそうで無ければ師匠であり得ないかもしれません。

何故なら師匠とは、未知のものを既知のものに還元して理解してしまおうとする人間の怠惰な知性を払いのけ、つねに未知のものとの対話をさせようとする、そんな働きを持つものを指すのだと思うのです。

お花、お茶、踊り、身体、あるいはありとあらゆる職人技。そこで行われている営みは、たいていは言葉の届かぬ道具や植物や動物たちとの親密で濃密なやり取りです。

そこでの巧みさというものは、言葉を語らぬものの発する些細で膨大な情報の中から、いかに自身にとって必要な情報を引き出せるかという「聞き取り」の能力にかかっています。

ですから師匠は、弟子たちに「何も語らぬもの」と対峙させ、そして迂闊に分かった気になってしまうようなことは語りません。自分自身で対話の回路を開いていくしかないからです。

幸運にもその回路を開くことができた者は、駄々をこねる子や、昼寝をする猫、そして路傍に転がる石からさえも、何がしかを学ぶことができるようになるのです。

そうして人は初めて「師匠」という存在の意味を知ります。

弟子たちに、そのような「学びの構え」を開かせるために、師匠という存在はあります。

極端なことを言えば、無知で無能で何も語らず何事も為さぬものであっても、人がそこから何かを聞き出したい、何かを学びたいと思いさえすれば、それは十分に師匠の資質を備えているのだと思います。

3.師弟小話

昔、私があるカルチャーセンターで講座デビューをしたときに、弟子の初舞台を応援しようと、師匠がわざわざ時間を作って見に来てくれたことがありました。

教室の後ろに立って、私が講座を行うのをジッと見守っていてくれたのです。それはもう有り難いやら、やりづらいやらで(笑)、いつにも増して張り切ってお話しさせていただきました。

その中で私はその場にいる人たちに「師匠を持つことの大切さ」を語りました。

先に述べたような私見をぶち、今思えばなんでそんなことを口走ってしまったのか分かりませんが、わざわざ応援に来てくださった師匠には大変失礼なことに「師匠っていうのは何でも良いんですよ」などと口にしてしまいました。

言ってしまって思わず後方の師匠の方に目をやると、師匠は教室の後方でにこやかに笑っておりました。「ああ、この師匠について良かった」と思った瞬間でした。

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