分身、簡単

夏頃だったでしょうか、身体が「バラバラ」になる感覚を得ました。
ぎゅっと力を溜め、固く大きくなるのではなく、バラバラになり、相手の隙に入り込む感覚が出ました。

その後、光やら、魂やらと大きな進展があったので、もう、記憶もおぼろげですが、力に頼らない戦い方、動き方に気づけた大きなターニングポイントでした。

水引を口にくわえるとどうなるか、顔が緩みます。
具体的には頭の重さを首で支える姿勢が弱くなり、顔が少し浮く感覚が出てきます。たくさんの人にくわえてもらって確かめましたが、無意識的にも、首の事を考える事がなくなるようで、楽になります。

表情は無限。バラバラ以前に、無数、無限のバリエーションがあるものだったのです。
表情を主役にした時、相手の後ろにまで意識を先に飛ばす事が出来ます。逆に考えると、通常では、相手の表情に対して、無意識に自分自身の表情を固めて、思い込みなのか、決めてしまっていたのかもしれません。

武術的に考えると、目の前の相手はいつも「敵」なのですから、表情には力を入れ、戦う準備をしてしまいがちです。
しかし、そうじゃない可能性を無限の表情は教えてくれます。

ただ、そうはいっても相手からの攻撃はやってきます。特に、今回、甲野先生から放たれた突きには気配がありませんでした。
気配なく、表情も読めず、いきなり突きが顔へと飛ばされました。そのショックから、敵を敵としてみない、という精神的な働きだけではなく、具体的な肉体の動きも求めるようになったのだと思います。

ショックを受ければ自然と身体はそれを解決させようと変わります。身体感覚の感度を上げれば、なかったことにしようとする心の働きに惑わされず、何とかしなくちゃ、と動き始めます。
突きに対して何が出来るか、表情によって相手から敵意を抜くのをやめて、突きそのものと向き合ってみた時、自然とそれは現れました。

「顔が動く」のです。
顔は頭にくっついているもの。肉体的にはそうです。
表情はその顔の上で浮いているようなもの。「福笑い」を考えてみてください。まさに、それです。

顔のパーツが動き、無限の表情を作るのがこれまでお話をしてきた表情の技。
分身する、と言っているのは、福笑いの土台を小刻みに揺らす、そんなイメージです。

突然動き出した顔の輪郭。その細かさがあると、相手の突きに対して、前後左右、上下、どの方向からも「見る」事が出来るような気がしてきました。
認識する情報量が増えると、自然に手足がそれに合わせて位置を決めて対応してくれます。
この辺りは体で覚えた「技」的要素もあるかと思いますが、シンプルに歩く、押す、引く、という動きであれば、技の事まで考えなくてもいいかな、と思います。

正座をして向きあい、相手にぶつかっていく。
私がずっと、稽古してきたシンプルな形です。
相手は遠慮なく、こちらを抑えてくるわけですが、この時、私の顔と、相手の顔は無意識のレベルで鏡のように反射しあっているようです。

このつながりがあるからこそ、その次に始まる、腹への力み、腕の動きにつながり、戦う事ができるわけです。
しかし、この時、私が顔を小刻みに震えさせると、相手は視点、焦点を動かされるのか、迷いが出ます。この迷いの最中に衝突が行われた時、バランスを崩してしまうのです。

仕組みが分かれば、後は簡単。顔の振動のレベル、精度を上げるだけです。そして、何回かそれを行うだけで、相手を崩すコツがわかってきました。
なぜ、こんなに簡単に崩れるのだろう、それを考えていましたが、その時、頭に思いついた事が「分身」だったのです。

分身する、という説明は最初、抵抗がありました。だって、分身ですよ(笑)。
私もすっかり中年です。そのいい歳した大人が「分身」だなんて・・・。
私の頭には分身があり、それを考えながら動けばさらに動きはよくなるのです。しかし、分身という言葉を使わず、顔が動く、程度の言葉で説明をすると、動きの質がやはり低いのです。自分は一人、顔は一つ、その観念が邪魔をします。

もともと、分身という言葉も、小学生数人と稽古をしていてたまたま出てきた言葉でした。子供相手の稽古では私の言葉も子供向けになるのでしょう。
まぁ、ただ、こちらが分身という言葉を使っても、子供たちは何言ってるんだ、とあきれてはいましたが(笑)。

しかし、私は分身している、分身出来るんだ、と思ってしまってからは相手からの睨み、狙いが気になりません。
物理的な突きが当たる前なのですから、自由に自分は当たらない、と考えてもいいものですが、それはなかなか難しい事。狙われれば、つい、身体を固めて防御したくなります。

実は自分の問題だったのです。
当たる、と思ってしまうから、当たりやすくなってしまっていたのです。
しかし、私は当たらない、なぜなら分身しているからこそ、相手は狙いにくい、とわかってしまうから。この非常識な考え方が出来ただけで、安心感がまるで違ってくるのです。

人間って分身出来る、それは自然と湧いてきた感覚です。そして、そう思うのに時間は要りませんでした。ちょっとだけ、大人の常識を捨ててみれば出てくるものでした。そのための力は顔が用意をしてくれています。
とはいえ、それを言われただけで、そう思うほど人は人を信用できません。むしろ、そこまで純真であれば、多くの人に騙される人生がやってきそうです(笑)。

しかし、嘘だ、と思ったまま、つまりこれまで通り、常識通りであれば、人生は多くの人と同じように困難の道になってしまいます。
何とかして、ほんとかなぁ、と疑いが出るところまではご案内をしてみたいと思います。そして、ちょっとぐらい試してみるか、と遊んでもらいたいのです。
願わくば、やばい、本当に分身出来るじゃん、と変人の仲間入りをお願いしようと思っています(笑)。

【稽古予定】参加受付中
12/19(日)甲野先生の浜松稽古会
1/16(日)つくば稽古会

12/15(水) 大垣
12/16(木) 瀬戸
12/17(金) 名古屋熱田
12/22(水) 名古屋
12/25(土) 浜松8時間稽古
12/29(水)~30(木) 名古屋徹夜稽古

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト


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