天動説と地動説 その3

養分にならないために

動きとしては日々、確かになってきても、言葉にすると、毎回違う説明が出てきます。私の稽古はいつも、違う説明をしているように思うよう感じるかもしれません。
動きとしての土台はあっても、言葉として基本が作れないのはそれが理由です。

言葉があれば多くの人に「同じ事」を伝えられます。わからなくても、まず知る事で手がかりになります。
方向が定まる事で切磋琢磨で稽古をすれば、徐々に近づき、力を手に入れられる人もいるはず。しかし、大部分の人は結局、「わからないまま」。
この状態を私は「組織の養分」と言っています。

組織のために、教えのために人生を使う、と決めているのなら応援側でもいいでしょう。しかし、それは本心なのかどうか、それを確かめないまま組織としての数だけを集めていくやり方はまぁ、やらなくてもいいかな、と思うようになりました。

一人稽古は楽ちん

私は甲野先生に出会い、身体感覚という世界を教わりました。技はもちろんですが、何より、「稽古法」を学べた事が幸運だった、と今はわかります。
教わる事ばかりに慣れていて、自分で研究してみる、なんて発想はまるでなかったからです。
一人稽古を知り、自分の身体と向き合っているうちに、徐々にひらめきが出るようになりました。楽は楽、痛みは痛い、苦しいなら楽な方へ・・・、そんな当たり前な事も知識ばかりを入れる勉強法で忘れていたのです。

地動説の動きも身体に現れてきた「より楽な動き」によって、たまたま言葉になったものです。
すでに誰かが「地動説」という言葉を残してくれていたからこそ、それまでの動きと、新しい動きを比較した時に「天動説と地動説」というイメージがそこにぴったりと合ったのです。

地動説の動きを得てみれば、それまで大地を踏みしめ、腹を作り、正中線を立て、胸と背中を張って作っていた「良い姿勢」が実に傲慢で、贅沢な構えだとわかりました。
強い、と思うのは自分だけ。周りに目が向かない、子供のような構えだったのです。

ナンバ歩きは地動説的動き

地動説の動きは重力が働きやすい構えです。それは左右、どちらでもいいですが(私は左が好み)、太陽の役目となる中心を作ります。それに従えば、空間は「すり鉢」のように傾きを持ちます。
その傾きに従い身体を動かせば、実に「楽に」身体が動きます。

そして、この動きが自然とこなれてきた頃、またひらめくものがありました。

これは「ナンバ」だ!

近代化する前の日本人は「ナンバ歩き」という、現代人とは違う歩き方をしていた、と言われています。
それは着物など、日本に根付いていた文化的な土台で生まれてくる所作。当然、近代的、西洋的な社会では消えていきます。
今、確かなナンバ歩きはどこにもありません。そもそも、当たり前すぎる「歩く」という行為をわざわざ技として残していた人はいないのです。

それでも、地動説の動きが生まれて、それを術理として歩いてみると、これはナンバだ、と思うしかなくなりました。

ナンバ歩きならどんな時にも歩いて生きられる

背筋を伸ばし、膝を上げ、行進するように歩く。これは無理があるのです。元気なうちなら自己表現としてありでしょうが、病気やケガ、気落ちした時など、とてもそんな歩き方はできません。

しかし、太陽を作り、すり鉢環境の中にいられるようになれば、病気だろうが、ケガだろうが、気落ちしていようが、関係ありません。
身体は淡々とすり鉢に沿って流れ始めます。
元気があふれる人にはどうでもいい事に思うかもしれませんが、病気やケガ、ちょっと苦しい時を過ごした事のある人なら、この安心感が伝わってくれると思います。

天動説に地動説。
言葉には力があります。そして、インパクトがあるものが心に突き刺さります。私は人が求める言葉を出せませんから、感じたままを言葉にしていますが、逆にそれが「意味不明さ」を出している気もします(笑)。
言葉は頭にまずはいります。
それぞれ、記憶の中にあるもの、無意識の中で出来上がった観念でイメージを作ります。そのイメージが身体に降りた時、きっと、なるほど、これは地動説!と納得してくれるのではないか、と期待しています(笑)。

今日はこの辺りで。また、書きます。

【稽古予定】参加受付中
3/13(日)つくば稽古会
3/26(土)甲野先生の浜松稽古会
4/9(土)川崎稽古会

2/12(土) 浜松
2/13(日) 名古屋
2/18(金) 名古屋熱田
2/23(水) 名古屋
2/24(木) 瀬戸ヒーリング
2/25(金) 名古屋東山
2/26(土) 浜松

2月の「大垣」はお休みです。
詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

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