言葉のチョイス
アレクサンダー・テクニックのレッスンとは少し離れた話になりますが、パッと癖のまま反応しないという日々の訓練のおかげで言いかけた言葉を飲み込み、比較的すぐに気持ちを整えられた話。
かな。
両脇に車が大量に停車/駐車している一方通行の細い道で、でっかいジープがほかの車よりもだいぶんはみ出して停まっていて、運転手がいなかったので、車をちょっと動かすかサイドミラーを倒してくれたらいいなと思い、プップッと(やさしくですよ)鳴らしたところ、向かいの店からがたいのいい男の人が出てきて「これぐらい通れるだろ?」と。
なんてったって自慢じゃありませんが、車間前後1〜2mmで駐車できてなんぼの路上駐車激戦区のボストン市内で生き抜いてきた私です。
車の操作にはまあまあ自信があるので、いつもならちょっと頑張って通るかと思える幅感ではあったんだけど、その日は車の修理中でレンタカーを運転していたので「これレンタカーだからうっかり傷つけたくないんだ」と言うと「女だからってぐじぐじ文句を言うな。これぐらい通れよ」と。
いや、そもそも、ジープよ、ちゃんと枠に入れろよ。私の運転の技術ってか、女性の運転の技術をバカにした発言する前に、自分の運転の技術見直すべきやろ?あれだけ車体枠に入ってるんやったら、はみださんと停めれるはずやし。冷静に状況を捉えてみても、女性という言葉を使って責められたり文句を言われる筋合いないし。
自分の子供に対して以外、滅多に怒ることはないんだけど、憤慨し思わず「あんた差別主義者?」と言いかけたけれど、強めの言葉だと以前だんなが言っていたのを思い出し、出かけた言葉をぐっと飲み込む。
じゃないと子供もいたし襲いかかられたらたまったもんじゃないと思ったので。
そのおじさんが、私の後ろに続く男性が運転する車に向かって「お前だったら余裕で通れるよな」と猫撫で声で言ってるのを横目に、慎重に運転して、そりゃ通れたけれども。だ。
その人にとって、そういう言葉しか選べなかったのだろうか?
「あっ、ごめん、通りにくいよね。当たらないように見とくよ」とか「サイドミラーたおしたら通りやすいかな?今たおすから、ちょっと待って」とか、そういう言葉のチョイスは全くなかったんだろうか?
ああいう時、私はどういう言葉を返せば、相手にも状況を把握させ、すっきりスマートに事を乗り越えられたんだろうか?
トレバー・ノアだったらどう言う風に対処しただろ?
なんかいろいろ考えると悔しくて、日頃の疲れも相まって涙がボロボロでてきたんだけど、泣きながら後部座席の息子たちに
「言葉のチョイスひとつで、人を幸せにも嫌な気分にもすることができる。だからちゃんと考えて、言葉を選ばなくちゃいけない。嫌な気分になると、イライラして
近くの人間にもそのイライラ気分で接しがちになるし、そしたらそのイライラ気分で接された人もイライラして、嫌な気分がどんどん伝わっていってしまう」
と、ぐちぐち話し聞かせながらの帰宅になりました。
「身近な人、周りにいる人を嫌な気持ちにさせないこと、ささいなことでもいいから楽しく幸せな気分にすることが世界平和への近道だ」という考えに、今のところ私の中ではたどり着いているので、子供達にとっても勉強になる経験になったかなと思っています。
そうあってほしい。
でも実際、こういう人多いんだろうな。
こんな中で、どんな態度でどんな言葉を使えば、相手に女性差別やあまり好ましくない言葉を使わせることなく、うまく事が流れるようになるんだろう。
私にとっては、考える課題が増えた一日でもありました。
ピース。