プロペラの音が聞こえるとき - 続き
前回書ききれなかったことをあと少しだけ。
端的にいってしまえば、姉のお下がりの絵本が”本”というものに触れた初めだったとおもう。ただ僕の場合、その絵本というものは、前回書いた、午前中の持て余したふわふわした時間によく眺めていたことと、そのとき空から聞こえていたセスナ機のプロペラの唸りとがセットで僕の記憶や細胞の中に埋め込まれてしまったようだ。だから今でも、プロペラの音を聞くと反射的に、あの幼児期の、実家の二階で絵本を見て過ごした午前中のことを思い出してしまう。
ところで、初めに触れた絵本がどんなものだったか、表紙にはどんな絵が描かれていたのか、テーマはどんなものだったのか、僕にはまったく思い出せない。今では大人が大人に向けたような絵本もあったりするが、その本は純粋に幼児向けの、どこにでもある絵本だったことだけは朧げながら憶えている。おそらくゾウやライオンのような動物たちの冒険譚や道徳教育的な含みのあるやりとりが描かれていたのだろう。
とにかく今風に云うコンテンツというものをまったく思い出せないのだが、ところがなぜだか装丁や作りはよく憶えている。どの頁も表面が薄いラミネート加工されていて幼児のヨダレや汗、飲食物による濡れなどのダメージを最小限に食い止める措置が施されていたこと。同様に、乱暴に扱っても簡単に頁が破けてしまわないほど分厚い紙が採用されていたこと。頁を全開にしても本がバラバラになってしまわないような綴じ方となっていたこと。よくある乳幼児向けの本の作りなのだが、どうやら僕は、そういった”ものの作り”のようなものに惹かれる傾向にあったらしい。
と、ここまで書いて一つだけ思い出したことがある。あれはふり仮名だったのだろうか。それは、大きな文字のすぐ横にときどき小さな文字が並んでいたこと。ひらがなだけを覚えた子供向けのカタカナ用のふり仮名だったのかも知れない。
因みに僕は積み木を使って文字を扱えるようになった。3、4センチ角の薄い板に、色付けされたひらがなが一文字ずつが描かれ、その表面を文字が浮き出すように浅く彫り込まれた積み木だ。乳幼児向けの文字学習用の積み木だったとおもう。この彫り込まれた文字を手で触りながら、母親だったか姉だったかと、ひとつひとつ声に出しながら積み重ねたり並べたりしていたことをよく憶えている。
おかげでこの頃、初めて本というものに触れた時、あるいは本というものを意識しだした時には、僕はすでに文字の読み方、この音とこの何本かの曲がりくねった線が”あ”であったり、”い”であったりといった対応関係を身につけられていた。そして、おそらくそのあたりくらいから、僕と文字との長いお付き合いが始まったのだとおもう。
最後にひとつだけ。
ちあきなおみの曲に「夜間飛行」という曲がある。
72年にレコード大賞を獲った「喝采」の次の年のヒット曲だ。僕はずいぶんと長い間この曲のタイトル「夜間飛行」を「薬缶飛行」だと勘違いしていて、”やかんひこう”と聞くたびに、空を飛んでいる薬缶を想像していた。これは冗談ではなく本当のこと。