【短編小説】注釈男 世界は踊る 最終話
【最終話】
そして僕は、世界中の誰もが注目している件の掲示板で宣言した。
「やあ、注釈男だよ。みんな、久しぶりだね。」
「報告が2つあります。1つ目です。殺人の注釈は1カ月後に消します。データを収集している方は急いでください。まだ自分の注釈が見つかっていない人殺しのみなさんは残り1カ月頑張って逃げてみてください。」
「2つ目です。僕はこれから毎月1つずつ注釈を付けていくことにしました。その注釈は付けてから3か月後に消すことにします。したがいまして、みなさんの頭の上には、最大3つの注釈が付くことになります。」
「最初の注釈は、無難なところで『汚職』とします。明日からこの注釈を付けます。当然、過去の行為も注釈対象となります。身に覚えのある方は覚悟をしておいてください。」
「さて、自分に関係のない注釈で良かったと喜んでいるみなさん。今回は特別に次の注釈も教えておきます。それは、『隠し事』です。もちろん、過去の隠し事も注釈対象になります。この注釈が付く前に周囲にカミングアウトしておくという手もありますよ。みなさんはどんな隠し事をしているのでしょうか?家庭が壊れるような隠し事でなければ良いですね。あ、総理大臣の隠し事も気になりますね。『実は、国内に核兵器が存在しています。』なんて注釈が付かないことを祈っています。」
「今まで注釈とは無縁であったみなさん。僕はこれから、いろいろな注釈を付けていくつもりです。注釈は例外なく真実を明らかにしていくでしょう。はたして何人の方が注釈から逃れられるでしょうか。全てが明らかになった世界で何が起きるのか、僕と一緒に確認してみましょう。」
「さあ、最後の祭りが始まります。みなさん、存分に楽しみましょう。」
宣言は瞬く間に世界中を駆け巡った。
しかし、逃げても無駄だと知ってしまった人々は、それが始まるのをただ待つしかなかった。
あれから2年あまりが経った。
家から一歩も外に出ず、思いつくままに僕が付けた注釈は26に上る。
「不倫」から始まり「殺人」「汚職」「隠し事」「ハラスメント」「嘘つき」「盗み」「裏切り」「いじめ」「●●●」「暴力」「不道徳」「薬物」「卑劣」「わいせつ」「人権侵害」「詐欺」「虐待」「保身」「非道」「傲慢」「破壊」「●●」「不正」「犯罪」そして最後にまた「不倫」
最後に「不倫」の注釈を付けてから3カ月が経とうとしている。
それ以降、注釈は付けていない。
人々はこの変化に戸惑い、かつ、大きな期待と不安に包まれながら息を殺して成り行きを見守っている。
しかし、今や世界中の人々から忌み嫌われ、怨嗟の対象となった僕はあえて何も語らない。
注釈を付けるべきことはまだまだたくさんあるが、もういいだろう。
無垢な子供たちを除いて、注釈が付かなかった者はほとんどいないだろう。老若男女誰しもが多かれ少なかれ注釈の餌食となり、信用と信頼を失った。
適当に付けた漠然とした注釈は対象者を爆発的に増やし、さらに曖昧な注釈により何度も同じことを晒された人も多かった。
最後にまた「不倫」を付けたのは悠里に対する単なる嫌がらせだ。
注釈に関するデータは相変わらず律儀に収集され、データベース化されている。もはや、これを隠そうとする素振りさえなく、「注釈男データベース」として誰もが堂々と閲覧できる状態になっている。データベースは個人情報の塊で危険なものであるのに、不思議なことに規制される様子もない。
26の注釈は、世界中の人間関係を完全に崩壊させた。
人々は家族でさえ信じられなくなり、何をするにしても疑心暗鬼に陥った。
相手との信頼関係を築けなくなり、コミュニケーションが成立しなくなっていった。
家族、会社、組織、地域、あらゆるコミュニティは破綻し、人々は孤立していった。
公職から大量の人々が追放され、国の信頼は地に落ちた。
互いの信頼関係で成立している経済活動は、かつてないほど停滞し、大勢の人々が路頭に迷うことになり、そこに飢饉が追い打ちをかけた。
社会契約も崩壊し、法や秩序が守られなくなった結果、暴力や犯罪が横行している。
自殺が右肩上がりに増え続け、もう歯止めが効かない状況になっている。
国家間の表向きは良好であった信頼関係も既にメッキが剝がれ、世界中で紛争と侵略が相次いでいる。既に局地的に核兵器や生物兵器も使用され始めている。
どうだい?これが、真実の世界だ。
これが、『注釈男の意志』のクソ野郎どもが望んだ世界の浄化だ。
結局、真実の世界は、誠実で美しい世界にはならなかった。
今朝、最後の注釈「不倫」を消した。
僕が人に注釈を付けることはもう二度とない。
これから人々は、注釈が存在しない世界に戻っていく。
しかし、一度壊れた信頼関係は再び元に戻ることはないだろう。
ただ、注釈が付かなかった子供たちだけが、いつの日か新しい世界を作れる可能性を秘めている。
あとは、僕自身が誠実であるために、最後の仕事をしなければならない。
酒瓶からグラスになみなみと注いだ泡盛を一気に飲み干して、あの琉球の王に問いかける。
「僕は何者だ?」
僕は、久しぶりに家を出て、泡盛の酒瓶を手にぶら下げながら、街に向かってぶらりぶらりと歩き出す。
空は澄み切って青く、太陽の光が眩しい。風は心地よく、木々の葉が微かに音を立てる。
そして、僕の頭の上にある真っ赤な矢印には、
『この人、注釈男』
【完】