鳥山明について
僕にとっての鳥山明は、「Dr.スランプ」である。決して、「ドラゴンボール」ではない。「ドラゴンボール」のことは、実はあまりよく知らない。これは単純に、僕の属する世代と関係がある。
漫画連載の開始時期を調べてみると、「Dr.スランプ」が80年~84年、「ドラゴンボール」は84年~95年である。ちなみに、アニメ放映の方は、「Dr.スランプ」が81年~86年、「ドラゴンボール」が86年~97年である。僕は、80年代半ばに大学を卒業して、就職した世代に属するので、タイミング的に、「ドラゴンボール」の漫画やアニメなどに接する機会がないまま、サラリーマン生活に突入していたということがわかる。
したがって、「スーパーサイヤ人」とか、「ピッコロ大魔王」とか、「フリーザ」の話をされても、僕には理解できないのだ。
僕は、特段、漫画の専門家でも評論家でもないが、漫画は大好きだったので、初めて鳥山明の描く「Dr.スランプ」に接した時、それまでの漫画家とは異次元の新しい才能に出会ったということくらいは理解できた。
鳥山明の何がすごかったのか。以下はシロウトとしての適当な意見であるが、とにもかくにも、「絵がキレイ」「絵がうまい」ということに尽きる。
日本のサッカー選手は、若い世代ほど、技術レベルは明らかに向上している。Jリーグ発足時の頃の試合のビデオを見ると、当時のプロ選手の多くが、現在の高校生よりもずっと下手クソであることに気づく。
同様に、漫画家の作画技術というのもまた、後の世代になるほど、総じてレベルアップしている。ストーリーとか構成の巧拙はまた別の問題になるが、単に絵を描く技術だけであれば、今どきのアマチュア愛好家の中には、昔のプロ顔負けの技量を持った人はおそらく掃いて捨てるほどいる。
鳥山明も、前時代の、手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄(FもAも含めて)といった大御所たち、あるいは彼らの系譜からは外れた、さいとうたかを、水木しげる等の劇画とか貸本屋漫画から出た人たち、これらどちらの流派と比べてみても、技術面において、明らかにアカ抜けているし、洗練されている。
というか、ハッキリ言えば、プロとアマくらいの技量の差がある。鳥山明のスッキリとしたタッチの漫画を見た後だと、それまでのベテランたちの描いた絵が、急にシロウト臭く感じられるようになってしまうのだ。
鳥山明の前後にデビューした、新世代の漫画家たち、大友克洋とか、浦沢直樹の漫画に接した時も、タイプは異なるが、同じような印象を持った。明らかに漫画を描く技術水準が、80年前後くらいの時期に、それまでとは別次元に進化していることを感じさせる。
鳥山明の画風は、とてもシンプル、スッキリとしている。大友克洋みたいに余白をすべて埋め尽くしたような圧迫感はない。ちょっと見には、すぐ真似できそうである。当然、真似はできない。イニエスタみたいな名手のプレーを見ていると、サッカーがいとも簡単そうに見えるのと少し似ている。最少の線で、これしかないという描き方をしているから、シンプルでスッキリと見えるだけなのだ。
鳥山明の漫画のスッキリとした印象は、1つには、「劇画の影響に毒されていない」ことにあるのではないだろうか。手塚治虫でさえ、劇画を意識して、自分の作風が時代遅れになることを怖れ、劇画的なタッチを部分的に取り入れているのがわかる。結果的に、初期の手塚作品独特の、丸っこくて、かわいらしいタッチが徐々に浸食されて、「らしさ」が失せてしまっている。「ブラックジャック」とか、後期の作品ほど、そういう印象を受ける。物語の面白さや構成の秀逸さは別として、絵そのものに関しては、後期の作品のそれは、あまり好きではない。「汚くなった」とさえ思う。劇画からの同様の影響は、手塚に限らず、前世代の多くの漫画家に、大なり小なり見られる現象である。
一方で、鳥山明に関しては、作中で、たとえば、則巻千兵衛が急に劇画調の風貌に変化するシーンが見られることはあったとしても、手塚ら前世代以前に属する漫画家たちのように劇画からの負の影響は感じられない。彼にとっての劇画は、あくまで面白がったり、パロったりする対象として、相対化されている。
ビッグネームの漫画家でありながら、長期連載した代表作は、「Dr.スランプ」と「ドラゴンボール」だけ。アシスタントも1人くらいしか使わず、その代わり、制作過程の合理化を推進(ネームを廃止、ベタ塗りの工程を削減、CGの導入等)して、原稿の締め切りは厳守していたという。
漫画週刊誌の隆盛に伴って、漫画作品の制作過程も、アシスタントを大量に投入するのが当たり前となり、急速に「産業化」を遂げたわけであるが、そうした世の流れに抗うかのごとく、無駄な手間は省きつつも、家内工業的というか、属人的な漫画制作に最後までこだわっていたようにも思われる。
一方で、彼の作品自体は、国境を越えて全世界に知れ渡るようになり、アニメやゲームにもなり、莫大なおカネを生み出す装置のようになる。ある意味、コスパ最強、ROE最強である。
68歳での死去というのは、昨今の世の中では、ちょっと早すぎるような気がするが、「ちびまる子ちゃん」や、「サザエさん」、「ドラえもん」、「クレヨンしんちゃん」等と同じように、作者が亡くなっても、キャラクター自体は、今後もずっと愛されて、カネを稼ぎ続けるのであろう。
ご冥福を祈りたい。