「銀行冬の時代 再び」について
日本の銀行は今や構造不況業種である。91年、38兆円あった邦銀の利子収入が、今では7兆円しかない。大手銀行のPBR(株価純資産倍率)はわずか0.5倍で、解散価値の半分ほどしかない。「もう商売やめたらどうよ」とマーケットに言われているに等しい。
バブル崩壊以降、各企業は財務体質の健全化に取り組み、企業部門の貯蓄投資バランスは90年代後半から一貫して「資金余剰」である。内部留保をしっかりと積み上げている。銀行からおカネを借りる必要はない。一方で日銀の低金利政策で利ざやはわずか0.1%であり、預金を貸出に回しても儲からない。
僕が大学生の頃、『銀行冬の時代』という本が出た(日本経済新聞出版 (1981/9/1))。その頃も銀行は冬の時代だと言われていたのである。
その頃よりもずっと昔であれば、直接金融で資金調達をする選択肢がそろっておらず、企業は間接金融、つまり銀行からおカネを借りるしかなかった。したがって銀行というのは、企業に対して睨みが利いたし、典型的な殿様商売をやっていた。そういう構図が崩れてきたから「冬の時代」と言われ始めていたということだったのであるが、昨今起きていることを思えば、まだまだ呑気な時代であった。
本業の預貸業務ではもう儲からないから、日経の記事にあるような「目指すべきなのは「融資から投資」「預金から運用」による第二の創業だ。」ということになる。誰でも思いつきそうな話であるが、実際にはそんなに簡単ではない。
日本国内の企業の多くは既に成熟しており、見るべき投資機会は乏しい。「必要なのは国内資金の再配分であり、企業統合や企業分割といった再活性化の知恵にあろう。起業の支援も欠かせない。邦銀に求められるのは資金も出せる投資銀行業務であって、間接金融モデルの抜本転換が必要だ。」ということであるが、監督官庁とさまざまな規制に守られて、ぬくぬくと過ごしてきた大半の銀行員にそのような大層なノウハウがあるのか。
みずほFGが米国で投資銀行業務にシフトするという記事が前に出たが、海外で欧米の投資銀行とガチンコ勝負するだけの実力が邦銀に果たしてあるのかどうか。投資銀行ビジネスというのは「生き馬の目を抜く」ような世界である。
その米国の投資銀行のシンボルのようなゴールドマンサックスが大規模なリストラを計画しているという。モルガンスタンレーも同じような動きをしている。
商業銀行業務は、一種の装置産業あるいは社会インフラみたいなものであるが、そちらは今後、DX、AI、あるいは「組込型金融」といったものによって、今あるようなリアル店舗中心の銀行業務は変容していくことになる。というか既にそういう動きが進んでいる。やがて、商業銀行業務に携わっている多くの銀行員は不要になってしまう。
投資銀行業務は、強者だけが総取りできるような弱肉強食の世界である。日本国内で「乳母日傘」でやってきた邦銀が、欧米の「海千山千」のライバルと張り合えるとは到底考えられない。下手をすると「かもねぎ」にされるであろう。
金融部門も、企業部門も、これから日本においては、選別、淘汰、解体といったプロセスが急速な勢いで起きそうなイメージしか湧かない。今までなんとか生き残っていたゾンビもそろそろ年貢の納め時である。
だが、それは悪いことばかりではないと思う。焼け跡から再生する企業、新たに生まれる企業も出てくるだろう。内部留保を新たな投資に回す能力も度胸もなかった伝統的企業が廃れて、スタートアップ企業にもっとおカネが循環するようになれば、大化けする企業だって出現するだろう。そうなったら労働市場においても、枯れた産業から、勢いのある産業への人材の大移動が起きることになる。
一時的には痛みは伴うし、大企業に就職して「一生ご安泰」と思っていた人たちにとっては大問題かもしれない。
日本人は、戦国時代や幕末の歴史ドラマとか、戦国武将や維新の志士が大好きなわりには、自分自身はちっともリスクを冒したがらない。天下泰平の江戸時代みたいな世の中では、「親ガチャ」で人生が決まってしまう。今もわりとそれに近いのかもしれない。
だが、乱世であれば「一発逆転」も起こり得る。ピンチをチャンスに活かせる人たちにとっては面白い展開が期待できる世の中がすぐそこまで来ているのかもしれない。
そういう意味では、もう日本の銀行は本当に冬の時代が今度こそ来ればよいと思う。なぜならば、日本経済における最大最後のゾンビは銀行だからである。
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