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自己責任について

テレビで、映画「タイタニック」が放映されていたが、そのタイタニック号の残骸の見学ツアーで行方不明となっていた米潜水艇「タイタン」について、乗船者5人全員が死亡したという発表があった。「タイタン」は観光用潜水艇の安全認証を得ておらず、運営会社の従業員からも安全上の懸念を提起されていたという。ツアーでは水深4000メートルの深海に潜る必要があるにもかかわらず、潜水艇の窓が水深1300メートルまで耐えられるようにしか設計されていなかったというようなお粗末な話を耳にすると、もしそれが本当ならば、とんでもない人災ということになる。

日本でも1年余り前に、知床半島沖で観光船が沈没して、26人の死者・不明者を出す事故が起きたことは記憶に新しい。この事故の場合は、運航会社の管理体制と国による監査の甘さが原因と言われている。

またこの3月には、京都の保津川で、観光客向け川下りの舟が転覆して、乗客25人と船頭4人の計29人全員が川に落ち、うち船頭2人が死亡する事故が起きている。

コロナ渦が沈静化したおかげもあって、しばらくおとなしくしていた人々もあちこちに移動するようになり、観光客も増えているのだろうが、人が動けば事故も増えるのは避けられない。

こういう場合に、「わざわざ出かけるから事故に遭うのである。出かける奴が悪い。所詮は自己責任である」といった論調で話をする人が少なくない。たしかに家の中にずっと引きこもっていれば、事故に遭わなかったのかもしれないが、たまの旅行や出張に出かけて不幸にも事故に遭った人が非難されるのも気の毒な話であろう。それに、自分で防げる事故と防げない事故があるのは間違いない事実である。

たとえば、家に引きこもっていたとしても、トラックが家に突っ込んでくるかもしれない。自己責任論が好きな人ならば、「トラックが突っ込みそうな場所に住む奴が悪い」と言うかもしれないが、普通に考えれば、そんなことは予測できないし、自分ではどうにも防ぎようがない。

あるいは、旅行や出張でたまたま乗り合わせた新幹線や飛行機が大事故を起こすかもしれない。乗客は、新幹線や飛行機の運行管理の責任は負えないから、こういう場合に乗客の自己責任と言う人はさすがにいないだろう。

冒頭に書いた、「タイタン」、知床の観光船、保津川の川下りの舟についても同様である。観光客側に何か事故を誘発するような危険な行為があったのであれば別だが、普通の状況において、観光客側に事故防止のための責任を負わせることは無理である。いずれのケースも、過失割合としては全面的に運営側の責任ということになる事故であろう。

しかしながら、仮に「タイタン」の乗船者が、単なる観光客ではなくて、危険を覚悟の冒険家であったとなると話は少々違ってくる。たとえば、「タイタン」の機能面に深刻な問題があることを十分に理解した上で、それでも敢えて深海探索にチャレンジしたようなケースである。こういう場合には、自己責任という言葉が使われても仕方がない。もちろん今回のケースはそういうものには該当しないのだろうが。

ロケットで宇宙に行くような場合も同じである。いくら安全管理を徹底していても、やはり一定の確率で事故が起こり得る。危険を冒してでも、敢えて宇宙に行きたいと考えるのであれば、最悪のケースを想定しておくことは必要であるし、それがイヤだと思う人は乗船すべきではない。

地球上であっても、ものすごく危険な場所であることは覚悟の上で、敢えて出かけていく場合も同様であろう。エベレストや極地も最近は観光地化しているが、それでも死と隣り合わせの危険な場所であることは間違いないし、熟練したガイドが引率したとしても、すべての事故を防ぐことはできない。

国内でも危険な場所はいくらでもある。山岳地帯などの高地は、たいてい危険である。ベテラン登山者でも足を滑らせたらアウトである。穂高や剱岳、谷川岳等では毎年のように遭難事故が起きている。高地だけではない。神戸の六甲山みたいな都市近郊の低山でも遭難する人は毎年いる。六甲山や高尾山とか箱根山にガイド付きで登る人はいないかもしれないが、仮にガイドが引率しても、山では事故が起きる可能性をゼロにはできない。14年には、御嶽山が噴火して、たまたま火口付近にいた登山者が大勢死んでいる。自然災害や天候の急激な変化まで予測することは難しい。

数年前に奈良県の大峰山という修験道の山に登ったことがあるが、山頂付近の「裏行場」というちょっとばかり危険なコースに登る際には、「何が起きても自己責任」という意味の誓約書にサインをさせられた記憶がある。まあ、頼まれもしないのに、自らの意志で危険なコースに挑戦しようという話なので、こういう場合は自己責任だと言われても仕方がない。実際のところ、大峰山でも毎年何人かは滑落してドクターヘリが飛ぶような事故が起きているという。

最近は中高齢者にも登山がブームのようであるが、本来は体力のあまりない中高齢者が山登りをするに際しては危険がいっぱいであり、危ない目に遭うのも十分に理解した上で自分自身の体力や技術に見合ったところに出かけるべきである。ふだん街中を歩いていても、階段で躓いたり転んだりするような人は、あまり無理をするべきではない。それでも敢えて山登りに出かけるのであれば、あとは自己責任と覚悟を決めるべきだし、遭難してもそれが天命だと腹を括るのがスジというものであろう。

釣好きな人も多いが、海や川で足を滑らせて遭難する事故は珍しくもない。好きでやっていることである以上、何が起きても他人の責任にはせぬことである。

海や山や川にでかけなくても、我々の周囲には危険はいっぱいある。自転車に乗っていて、転倒して大怪我する人もいる。趣味でランニングをしていて心臓発作を起こす人もいる。

要するに人間は生きている限り、常に何らかの危険に晒されている。先ほど書いたとおり、家の中に引きこもっていたとしても絶対に安全とは言えない。

どこにいても危険は潜んでいる。危険がゼロになることはない。用心深く生きていても、どこかで突然かつ暴力的に死を迎えるかもしれない。無事に生きていること自体が、奇跡と言えば奇跡みたいなものである。

そういう意味では、毎日の生活そのものが自己責任だということになる。


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