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[読書録1]希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話

希望名人ゲ一テと絶望名人カフカの対話

本書の大半を占めるのは突き抜けてポジティブなゲーテの言葉と突き抜けてネガティブなカフカの言葉の対比(対話)の章です。カフカの言葉がゲーテの言葉への突っ込みの役割のように効いていて何度も吹き出しました。達者な漫才芸のように両者お互いの言葉がお互いを際立たせて、言葉に深みを持たせグイグイ引き込まれます。
頭木弘樹さんの解説によりゲーテ、カフカの人間像も伝わってきます。超人、雲の上の人というイメージだったゲ一テが急に地上に降りてきて人懐っこい笑顔を向けてくれたようでグッと親近感が沸きました。カフカの深刻さも腫れものに触るような対応ではなくて突っ込んでよいのだと気がつきました…手段は手紙に限定されそうですが笑
ちなみに時代が違うので直接の交流はありませんが、カフカはゲーテの著書のファンだったようで本書の中でカフカの言葉をゲーテへの「突っ込み」と私が感じたのが例えではなく、本当にゲーテの言葉への答えとして発せられたものもあったのかも、と思いました。両者の表出しているイメージは真逆ですが、物事には必ず二面性があるように表裏一体となっているように感じます。影の存在で光がより強く感じられるように「希望」と「絶望」はひとつのことの表と裏なのかもしれません。

…ゲーテ×ゲーテ=超ゲーテの父母の下に生まれた私は子どもの頃は超カフカでした。一人勝手に絶望している私の横をケラケラ笑いながら忙しく母が通りすぎていました。両親は別世界の人達のように感じていました。私は表に出てはいけない人間、不必要な人間。ところが…経過は略しますが…あるときから私もゲーテ的思考回路になりました。ざっくり、ばっさりお伝えすれば嘆き尽くして絶望することに飽きたのだと思います。

今、この社会状況で「希望」と「絶望」の間で多くの方が日々揺れ動いているとも想像します。
「希望」の言葉に救われる日もあれば「絶望」の嘆きの言葉に癒されるときもあるでしょう。
「希望」と「絶望」は切っても切れない二卵性双生児のようにも感じています。

ゲーテ、カフカのファンの方、両者の著書の理解を深めたい方に本書をおすすめします。そして希望と絶望の間を揺れ動きながら「それでも」日々を全うしている大切なひとに今、この本を贈ります。

2020年4月23日

#サンジョルディの日





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