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あやしい・あやしくないってなんだろ?

私は何者なのか?ということを割とずっと考えています。一体なんのために生きているのだろう?と悩んだ日々も長いと思う。でも、別に死にたいわけではなくて、生きるとか死ぬとかそういうのもよくわかんない感じでいました。今もわかってるわけではないのかもしれないけど、ともかく、私は今ここに生きています。息をしていて、脈を感じることもできる。体温がある。暑さ寒さを感じるし、喜怒哀楽があり、眠気も出てきたり、考えてみると、いろいろ忙しいですね、この世って笑

私から見える世界に、私の姿は見えない

私たちの目は、そのままでは私たちの表情をみることができません。

「鏡を見れば顔をみれる」「画像や動画でみることはできる」のですが、鏡をみるときは「鏡をみる顔」になっているし、知らない間に撮られた画像・動画でない限り、どんな顔してここにいるのか自分でみることはできないのです。そして無意識に撮られる画像・映像はそもそもほぼないから、それを目にする機会は少ない。

なのに、周りはそれ(その画像にも映像にも残ってない、私が見れない私)を見ていて、知ってたりするんです。

なのに!私を見ている人は、私が思ってるのと違う風に見てたりするんですよ。私は楽しかったのに、つまらなそうだったとか、緊張してガチガチだったのに余裕あっていいねとか。

この事実に気がついた時、ちょっとびっくりしまして。

これって、私は世界にいるのかいないのか?どうなのかな?

(私の世界と、あなたの世界は並行世界なのかな、と思っています)

見えない世界って、あやしいとかあやしくないとかいろんな人がいろいろいうけど、そもそも、見えないことだらけじゃん、と思っております。

あなたの心は見えますか?

私は、流通している「スピリチュアル」という言葉に混じる、胡散臭さがあまり好きではありません。でも、目に見えない世界というものはある、というか、その見えないほうが大きなシェアを占めているんだと思っています。

私の心は見えないけどある。私の感情も見えなくても(見せなくても)ある。でも、私が表現するまで、それは他の人にはわからない(見えない)。

私が見ているものを、他の人が見ているかはわからなくて、「事実」すらも見方によって変わったりする。トリックアートとか、面白いですよね。見える世界は、「見たいように見てる世界」でしかない。

そしてどうやら、想像の世界から、物質は生み出されている。誰かが、「こういうのがあったらいいな」と思った物が目の前にある。目の前にあるものは、いつか誰かが欲しかったもので、工夫を重ねて出来上がってきたもの。

今はマスク不足だけれど、マスクが買えなければ自分で作る!という人はたくさんいて、様々な素材からマスクを作り出している。思いついた時に、その「手作りマスク」はまだない。でも、やってみたらできた=物質化

そう思うと、思いついた段階では「見えない」世界で、作るという行動を持って「見える」世界に現れる。

ねぇ、あやしいとあやしくないって何が違うんだろう?少なくとも、見えると見えないは離れていない世界だと思うんだけど。

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白岩かおり|面白く美しく生きることを追求するひと
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