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自分の人生を自分自身で創るチカラ

「自分の人生を自分自身で創るチカラがあなたにはあります」

こう言われたら、あなたはどんなことを感じますか?

「自分の人生を創っているのはあなたです」

この言い方では、あなたはどんなことを感じるのでしょうか。

「自分の理想通りの人生を自分の力で創る」
「自分の理想通りの人生をすでに自分で創っている」
「今手にしている人生が、自分の理想通りの人生」

こういう言葉の一個一個に
「そんなの嘘だ!」ってスルーするのもしないのも、あなたが決めていて
「そんなの嘘だ!」って思うなら、人生はそうなります。
そして、今思っていることで人生が創られていきます。



私が初めて、この類の文言を聞いた時、
そんな世界ってあったの?ってポカンと立ちすくむ私がいました。

私の中には、理想通りなんてあり得ないと思ってた私しかいなかったの。
理想を思い描くことも、だいぶ昔からしなくなってた。



「今手にしている人生が、自分の理想通りの人生」なんて言われた時には、「えー!そんなことない!」って叫びたくなるくらいの気持ちがあった!

そんなのあり得ない!って私の内側の私が叫んでた。
(同時に「でも、私にはできない」って考えだけがあった)

「こんなに真面目にやってて、いつも目の前の人のために、目の前の人の思いを汲んで、求められる仕事を求められる以上に仕上げて、こんなに頑張ってるのに、ただただ疲弊するだけで、私、全然楽しくない!・・・私が〇〇ができてたら・・・あの失敗をしなかったら・・・もっと仕事ができるようになったら・・・楽しくなるのかな。もっと能力があったら、もっと元気だったら、もっと人脈があったら、もっと・・・・」

↑こんな思考回路しか使ってなくて、仕事最優先で時間も体力も配分して、余暇なんてなくて(休みは動けない)、家族の要望に合わせてプライベートも時間配分して。

おしゃれする気力もないから、出かける用事ができたらそれに合わせて服を探し、考える気力もほとんどないからそもそもアイテムからできるだけシンプルにする(省力化)ばっかり追求し、少しも楽しくないのに(=苦痛)それはそれで褒められたりしちゃって、褒めるとこないからどうにか無理して褒めてくれたのかななんて思っちゃって、褒められたことを受け取ることができず。←我ながら酷すぎる

書いてて悲しくなるくらいに、「自分がない」状態で生きてきすぎて。
私、なんのために生きてるんだろ?ってそこばっかり考えてきてるとこに

「あなたがやってあげるから、周りができるようにならないんだよ」
とか言われちゃって、えーそれも私のせいですか?そうですか・・・
ってなってね。(真に受けすぎですね)

そうか、全部私が間違っているから、何をやってもいつも一瞬の達成感だけで、すぐ次に追われるみたいな気分だし、人の仕事は人に戻したら「今までやってくれたのに!」とか文句言われちゃうし、やってもやっても終わらない・・・もう消えちゃいたいなー。でも、仕事まだ終わってないから、今消えたら迷惑にしかならないな・・・ずっと迷惑な存在なのに、最後まで迷惑だったとか言われ続けるの嫌だしな、辞められないなぁ・・・ってループをしていると、なぜか強制終了で辞めさせられる、みたいなことになって、

そのループから強制終了で抜けたのに、
「ああ、こんな役立たずな私は、もうどこにも必要とされない」って引きこもったんだ。無価値観と絶望と一緒に、毎日一人で自室の白い壁と天井を見て、もう透けるんじゃないかな?ってお布団の中から手を天井にかざしてみたりしてた。

(去年の今頃は、思い返すたびに可哀想すぎて泣けたけど、今は笑っちゃうな・・・思考が壊れすぎていた・・・よく生きた、私)


そんな引きこもりをコロナ禍も含めて長らく過ごして
今思うのは、どん底で希望を描くのは大変!ってこと←当たり前

人と会っている時の私は、そこまでどん底感を見せないから
みんな「働きなさい」って言ったけど、それは、働けないくらいに弱っているのに弱っているのを私が出さなかったからなんだよね。
弱っている時は、弱っているって言ったらいいんだよ。(あの日の自分に言ってあげたい)

(弱っていることも、自分が悪いから、だと思ってたんだけどさ)

自分だけ悪いなんてことは、自分が思い込んでいるだけで、実際はどこにもないんだよ。感覚も感受性も全員違うから、勘違いや行き違いなんて頻繁に起きていて、その度に飲み込んだ言葉や、出さなかった思いや、言葉にできないモヤモヤなんかが勝手に蓄積されちゃって、それがまた感覚や感受性や思考に影響していくんだよ。

その、自分責めが、自分の人生を創っちゃってきた。
「自分責めをすること」は、自分で選んで実行していることなんだ。

何か新しいことを考えるより、自分責めをする方が、その時の自分にとって楽だったのかもしれない。
自分のせいにしておけば、他の誰かを攻撃することがないって思った、誰かを傷つけないための、そんな「ひとに優しい選択」だったかもしれない。

だから、過去を責めることは必要ないんだ。自分責めすることすら、自分(自分の美学)を生かすための生存戦略だったんだから。生きるための選択だった。今生きているってことは、生きることに成功していることなんだもん。間違いなんて一つもなかったんだよ。「いい人でいたい」っていうのも、生き方の美学のひとつだから。その美学を選びたかった自分を責めることはない。

(「いい人でいたい」で生きると自分を我慢させるばっかりになるから、その美学がそもそも違うってなるんだけどね。その時はそれがよかったんだよ。今は違うだけ)


あの時、〇〇していたら・・・って思うことなんて何度もあるけど、それを使って長らく自分を責め続けるのは、ただただもったいないだけ。

(それでも、自分責めをしてしまうって時もある。
そういう時は、飽きるまで自分責めをするのもそれはそれでアリだと思う。実際、自分責めが止まらなくて起き上がれなくなった私からしたら、おすすめは絶対にしないけどね。絶望の中で絶望探してもキリがなくて、絶望したまま生きるってなかなかに精神力使うからね。それよりは、自分責めをしている自分を見つけたら止める、を繰り返す方にエネルギー使うのをお勧めする。嫌になるくらい、繰り返すけど、繰り返していくうちに自分を責める自分の声は減っていくから。自分を責める声が鎮まっていくと、生命力が上がってくるから。大丈夫。責める気力もなくなると、責める声は消える。)

どうにも動けない時に、ポジティブ思考なんて浮かばないのよ。
無理してポジティブ変換なんてするから、生命力が弱まっていく。
ただただ、「動けないんだな」って現状認識だけしたらいい。
「動けない」ってことをジャッジしなくていい。受容するだけ。

動けなくなるまで頑張り過ぎちゃったの。
頑張り過ぎない人は動けるの。
動けない時に頑張るから、動けなくなるんだよ。
若いうちに無理が効いたのは、よくも悪くも荒削りだったから、切り替えがすぐできたんだ。
経験を積めば積むほど、扱える情報量が増えて、緻密に考えることができるようになって、逃げ道ないくらいに自分を追い込めるようになっただけ。複雑に考えることができるようになって、複雑に考え過ぎちゃったんだ。

で、大事なのは。
今も、この先の人生を創っているのは、自分だってこと。
意識しないままでも、この法則から逃れられることはない。
全部を自分以外のせいにすると、全部を自分で調整できない人生になる。
だから、自分が人生を創っていることを意識して、どんな気分で生きるかをいつも選択していく習慣を持つ。

人生を自分が創っているという前提に立った上で、
今と全く同じ考えのままでいますか?って自分に問う。

今と違う未来につながるって決めたら、

昨日できなかったことが今日急にできるようになっていいし
今まで興味なかったことを始めてもいいし
興味ありつつ手をつけなかったこと、
やりたいと思っていたことをやってみるのもいい

新しいことを始めた時にはいきなり満足できる結果になることは少ないから、結果がどうか、じゃなくて、やりたいって思った気持ちを大事にする。

今一番、自分が安心できているのは、「失敗することが怖い」ってとこからは抜けているところ。ずっと、一つのミスも許されないって思って生きてきた私にしたら、なんて息のしやすい空間にこれたんだろう。って思う。

ここから、変わるよ。

「自分の人生を創っているのはあなたです」


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白岩かおり|面白く美しく生きることを追求するひと
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