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インナーチャイルドって…(軽くなった考え方)

昨日の記事で、マイウェイをどうどうと歌う、五歳の女の子の動画をリンクしたんだけど、

舞台に堂々と立ち、お話しする姿を、舞台袖でみているお母さん(?)が、複雑に感情入り混じる表情だったの。

それを観ていたら、
インナーチャイルドって、舞台に立つ女の子みたいな感じなんじゃないかなって思ったんだ。

心理学のことばからきて、割とカジュアルに「インナーチャイルド」って使う人もいると思うんだけど、インナーチャイルドが必ずしも「傷ついたインナーチャイルド」ではないんじゃないかなって思う。

⚠️心理学の話は、私は専門家でも何でもないので、この先は心理学の話というよりは私の所感の話です。

インナーチャイルド(5歳児)は、
「私は歌う!だって歌が好き😍みんな、拍手してくれるよ✨きゃー✨✨✨」
ってただただ、嬉しい!楽しい!大興奮!みたいな感じで

そのはしゃぎっぷりをちょっと恥ずかしく思うインナーアダルトが、
「恥ずかしい振る舞いしないで!もっと落ち着いて!」って抑えてて

その抑えっぷりが鉄のようにかたいから、インナーチャイルドが出てこれなくなっていて、インナーアダルトのロジックでどうにかやっていかないとっていうのが、

「未来に希望が持てない」
「好きなこと、やりたいことがわからない」
「無気力」

とかにつながってるんじゃないかな。

そうすると、癒すべきは、インナーチャイルドを抑えているインナーアダルトになるんじゃない???

堂々と歌いあげる5歳

舞台で堂々と歌いご満悦の五歳児に問題はなくて、舞台袖でまっすぐに喜べないで複雑に混じる感情でどんな顔していいかわかんなくなってるお母さんが、表現こんがらがってるだけ。(気持ちがこんがらがっているから表現もこんがらがるよね)

お母さんは五歳の子が歓喜の中にいるのが嬉しくて、心配で、親バカすぎたら恥ずかしい…とか、いろいろ一度に大騒ぎになってる。

この状態を、五歳の子からお母さんを見たときに、「あれ?お母さんは困ってる?私が歌ったのはお母さんを困らせたんだ…😰」てなっちゃうと、こどもは自分の楽しみよりお母さんの顔色をみるようになっちゃって、「私が楽しいとお母さんはつまらない」という考えを強化するような証拠集めをしてしまう。
(こどもはお母さんの心の中の複雑な気持ちなんてわからないもんね。シンプルな世界にいるから)

結果、「私は愛されない!私は邪魔ばっかりする!私は間違えばかり」みたいに思うようになって、インナーチャイルドを出したらいけない…って閉じ込めている。ような気がしてきた。

ってことは、自分の中の「インナーアダルト=こども時代の周りの大人の常識」が、現代に沿うようになれば、ただ歓喜の中にいるのを楽しめるインナーチャイルドがでてきて、人生を楽しみやすくなるんじゃないかしら💓

そう考えたら、気持ちが軽くなってきた✨

これは私の中では、思考の大転換。
今までは「インナーチャイルド」って出てくると嫌な気分しかなかったから…

小さな頃の自分がうまくできなかったことを責められる感じにしか聞こえないワードだったんだ。インナーチャイルド。

しかも、相手はこどもだから話通じないしな…とか思っていた。(私は感性の強いこどもだった)

でも、癒すべきは、インナーチャイルドの引きこもってるドアを厳重に見張っているインナーアダルト(こども時代に仕入れた常識とかルール)だとすると、ロジックで勝てると思う!ロック解除はロジックでいける!

近年、インナーチャイルドのことをマジカルチャイルドとかスーパーチャイルドとか表現するのをきいたりするのは、インナーチャイルドをどうにかしなきゃって流れが変わったことなんじゃないかって思うんだ✨


満月が近づいて、あれやこれや誤魔化しきれないものが出てきてたりしてるとこも多くあるかもしれない。

いままで、我慢して抑え込んできたものは、もう抑えるのをやめるのが吉。
吉というか、我慢する意味がないことに気づいて!!!ってなってるから、抑えられなくなる…

前提が書き換わっている(現在完了形)

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