村八分
沖縄ほにや
嫌ならやめればと思った。そういわれてもいた。
そうだと思う。
その一方で、やめると村八分になる感覚アリ。
承認されることのみ求めてた部分があった。
辞めると、孤立の対象になる事があった。心理的に。
直観湧く場所としては良かったが、些細な会話のずれで封殺されてストレスになっていた。
楽しそうな人が多かったが、
どこかで合わなさがあった。
踊りを「楽しむ」事は言われていたが
それはどこか強迫観念的な同調性によって
成っていた。
どこかで自分の楽しみが沖縄ほにやの楽しみと同じになっていた。
しかし違う。
沖縄ほにやの楽しむ行為は、高知ほにやの踊りをして楽しみ、
共感して自己陶酔、同調していく形になっていて
個別性にて明確な差が見えなくなる。
自分の楽しみに対する「個別化」を行うことが難しくなっていた。
彼等は共感しあう価値しか求めてなかった。
彼等にとっては世の春だった。そう見えた。
最後には認められたのだろうが、
認めるふりをされているようにしか見えなかった。
言論を封殺されていたので、何も話したくもなかった
話せば潰されるからだ
それよりも、言葉を強くして爪痕を残せばよかったのだ
彼等の楽しみに染まる必要はない。
彼らはブランドの上で楽しむしかできないから
色々学ぶことはできた
感謝する。でも下らないほどに感謝する。