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御伽草子 よさこい踊り ほにや


御伽草子

沖縄ほにや時代、最後に踊ったのは「御伽草子」だった。
たしか、2006年の時だった。夏のイベントで踊った。本当はやりたくなかったと思う。しかし、やってみて、却って良かった。[楽しい]言う意味とはべつに。

よさこい踊り自体、動作に合わせる事しか会なく、楽しめてないと言われて
不満だった。その上、抽象性の観念に対して沖縄ほにやの人間は「役に立たない」と言っていた。言ったのは副リーダー、リーダーだった。

当時は、卒論もどきを自分で勝手に書いて、自分の立場を作ったばかりだったが、先行きは不明確だった。(当時は中沢新一の「対称性人類学」の神話的思考や田辺元の「種の論理」を学んでた。特に「種の論理」の凄さには強い影響を受けてて、すごかった )

主に神話の事を学んでた。
「御伽草子」を見たら、踊りの概念やフォーメーションが神話的思考によって動いていたのに気付いた。不思議と概念が見えてて、恐れはなかった。

踊りの概念の内容は、フォーメーションはアボリジニの「ドリームタイム」を体現している面があり、時間を消滅させたようなものだった。その前の扉を開ける動作は、トンプソンインディアンの神話にある、人とヤギが結婚する話を思い出した。ヤギが人間の女になり人間の男を誘い、洞窟へ行く話を連想した。踊りの服装は、修験者の物に近かった。

振り返り

当時、踊りに印象的に残った連想はそれだった。
そのバックボーンがあるために、すんなり入ったと思う。
沖縄ほにやの言う「踊りを楽しもう」という物からはズレることができた面がある。踊り自体も抽象的に作られているのに、彼らは無関心な面があった。ただ楽しむ事しかなかった。女の言う「楽しむ」と男の言う「楽しむ」は全く異なるのだろう。皮肉なものだった。

同時に憤った。
連中は、あれだけ抽象性には無関心と言ってたのに、その抽象性がこの踊りでは生かされた。怒りがわいてきたからだ。ひそかな怒りだったが。

彼等は踊りを「楽しむ物」としか思っていない。快楽の為にしかしていない。それは正しいのだろう。
しかし、踊りの動作によっては自然物の模倣を抽象化している面もあり、その概念を知りたい人もいる。あの中では自分の身だったのだろう。うっすら聞いても、納得する答えなかった。

結局、「楽しむ」のみしか聞こえてこなかった。
「文化を作る」とは言っていたが、抽象なくして文化は生まれてこない。
口先だったのだろう。「抽象性なんか役に立たない」と言ってたから。

もう昔の話だ。
しかし、思い出すと怒りたくなることもある。
当時の奴らは、何も関心ないのだろうから。

余談

中沢新一の「精霊の王」をこの時の前後、読んだが、踊りの芸能者の話が紹介されてた。世阿弥の関係者、金春禅竹。
室町時代の人で幕府から抱えられていたが、知識には貪欲だった。
自分らの芸能を仏教や儒教、神話などの知識にて論理化していた。
その論理化は「翁」という存在を具体化するためだった。
(「明宿集」にその成果が書かれている)

最もこの「精霊の王」と言う本は、石神(ミシャグチ、シャグジ等と言われる)について書かれていて、この石神は芸能者、職人の間で信仰されていたて、定義されていくうちにギリシャ哲学の話やケルト神話の事例、ユリウスカエサルの伝承などが取り上げられ、世界との関連性を分析していく。

あるイベントの打ち上げで、言おうとしたが周囲は無関心だったと思う。
沖縄ほにやは「高知ほにや」やソーランにしか関心なかったのだろう。
もう解散したが、彼らは「抽象性」に無関心だった時点で結果が出ていたような気がする。


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