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理性

楽しく、明るく、前向きに生きることばかり言われている。
自分が高校時代から言われてて、うんざりする。

楽しんでても。前向きにしていても、実は管理されているための方便にしか見えない。当時、前向きさがブームになっていても、それを疑問に持つ人は誰もいなかったと思う。学者何て、もってのほかに疑問を呈した人は見たことがない。

楽しく、明るく、前向きに。これらの言葉を理性として考えると相当ウザい。ウザくなる世の中が見えてくる。
これらを理性とすると、この理性から反すると、誰もが生きれない人にされていくか、落伍者の扱いにされる。怒る事も、悲しんだり、絶望すること、なんてタブーにされてしまう。やがて全部自分のせいにさせられて、自滅させられる。他人と言葉の通じ合わないこともあるし。通じ合わないと苦痛で、かかかることが義務にさせられる。

そしてお利口に、管理されて、反抗することもできなくなってしまう。

「楽しみました」なんて言葉、アメリカ的な言葉で、強者の身の言葉なのだろう。又は社会的な成功者の。
欧米で、デモが多くあるのは「楽しんでる」支配者に対する生きることの主張かもしれない。日本のように利権のみの左翼的なのとは、根本的に違う。

日本でも昔は武士の世界で「下剋上」、農民の世界では「一揆」があり、生存を脅かす存在に対して反抗していた。今は左翼崩れが言うだけ。利権のみで。

根本的に前向きさや楽しむ、明るく等の言葉は私は嫌いだ。
入ってくるものは欧米の物ばかり。「下剋上」や「一揆」と言う言葉が死語になっているのは、欧米の文化を受け入れすぎている代償。うんざりだ。いつかは取り戻したい。白人の俗物共から。


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