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沖縄ほにや 振り返り 5/28
沖縄ほにや
リーダーのMはインストラクターの女性達に依存してた。
新しい踊りを入ってくる人間に教えることを。
そしてインストラクターの女性たちは、リーダーに踊り団体の将来性について聞いてて、問う事に依存していた。
両者は相互依存の関係にあった。
その為に、インストラクターの女性達は踊りで、批評することに陶酔してた。同時にリーダーのMは将来性を踊りの価値を語る事で埋め合わせていた。
踊りの価値と踊り団体の将来性についての相互依存。
インストラクターの女たちの団体の将来性について不安を言っていたが、この人たちは自分で何もビジョンが作れなかったのかもしれない。
Mも完璧さを装っていただけだった。踊りの価値は語るが、踊りの価値に陶酔するだけに見えた。
こちらとしては、価値だの、将来性の不安だの煽られて、下らなかった。
入った時からその傾向が強かった。Mは沖縄ほにやのビジョンについて抽象的すぎた。
そもそも、高知ほにやの仕組みを模倣しているだけで、高知ほにやと沖縄ほにやとの仕組みの違いを分析してなかった。
高知ほにやは1年毎に踊りの更新して、メンバーを募集し直し、入れ替えて、祭りに参加してた。後者の沖縄ほにやは1年毎、習いに行き祭りに参加してても、踊りを踊るメンバーを毎年募集して更新して、入れ替えることができなかった。村社会的な雰囲気に依存して作られていた。却って人が増えても人が固定されすぎていった。
今思うと、この構造の違いをMも、インストラクターの女達も把握しきれてなかったのだと思う。価値と理念だけが先行して、客観性がなかった。
今思うと、客観的に分析しきれてなかったのだと思う。下らねえとも思った。くだらない踊りのブランド、価値観に振り回されて。