みんなでサボれば怖くない!?(社会的手抜き)
一言でいうと
人は集団にいると無意識にサボる
活用シーン
マネジメント・行動管理・評価
内容
1979年オハイオ州立大学のビブ・ラテイン、キプリング・ウィリアムズ、スティーヴン・ハーキンズによる研究。
被験者に大声を出してもらう実験をした。
①集団で
②ひとりで
声量を測定すると、②に比べて①は小さかった。
さらに、集団の人数が大きくなればなるほど、その人の声量は小さくなっていった。
しかし、本人はそのことにまったく気づいていなかった。
『思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方』
デイヴィッド・マクレイニー (著),
今回のお話の一つのキモは、被験者が「自分では声量を落としたつもりはない」という事じゃないかと思います。人は集団にいると無意識に力を抜く。
本書では、コンサートなんかでよく見かけるシーンを引き合いに出していました。よくあるじゃないですか、「みんな一緒に!」とアーティストが観客に一緒に歌うことを誘うシーンが。しかし、みんなはじめは声が出ない。
それはここでいう、「社会的手抜き」によるものだと言います。「声が小さい!」と言われて、意識して初めて、ちゃんとした声が出るようになる。
たとえば、給与の査定などの評価を個人のみを対象とすると、チームワークが乱れることがあります。逆に、チーム全体の成績を評価対象として大きな要素として取り込もうとすると、ここでいう社会的手抜きが起こります。
とすると、たぶんですが、これを評価の仕方で切り抜けるのはけっこう難しいのではないかと思うのです。ここで出てくるのが、チームビルディングという話。その中でチームの一人一人と、チームのリーダーが人としての関係を結ぶことができると、実はこの社会的手抜きはかなり回避されるのでは?と個人的には考えています。
報酬に関する評価はある程度決めごとで、できる限り公平に、モチベーションを維持できるように工夫するとはいっても、限界があります。そもそも報酬制度は衛生要因なのでプラスのモチベーションを発揮させることは不可能です。(ハーズバーグの衛生理論)
じゃあ、あとは人間性に訴えるというか、一人一人のことをリーダーは見ているよ、という目配せ。これが意外と聞くんじゃないかと思います。
歴史に残る日本の経営者(製造業)の多くは、現場をときおり歩き、作業員一人一人に声をかけたと言います。これこそがまさに、社会的手抜きがおこる「集団の一員」という立場から、経営者と一人の人間という「個人」という関係性にかわるコツではないでしょうか。
つまり、社会的手抜きは自分が集団の一員である、と意識した時に出がちです。逆に集団ではなく一個人として、リーダーとの関係を持つことができれば、その人は集団の中にあって、一個人として動き始めると思うのですが、いかがでしょうか。
ワタシ、こんな本書いてる人です(^^)/
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