人間関係の裏技
犬の糞を踏んでしまった日
道端で犬のうんちを踏んだ事はありますか?
最近はものすごく東京の道もきれいになってきたから、そうそう犬のうんちを踏むことって少ないよね
ただ、今日は久しぶりにそのうんちを踏んでしまったエピソードを話します
正確に言うと、犬のうんちではなく、親との会話なんだけど
皆さんは自分の両親と心の底からつながっている。
理解しあっている。
そんな安心感や、信頼感はありますか?
ぶっちゃけ、私は、心を開いて、苦しい時に両親と話すと、犬のうんちを踏んだような気分になります笑
基本的には理解し合ってるし、
愛情もあるし、感謝ももちろんしているし。
けれど、自分に余裕がない時(苦しい時)や
気をつけていないと、うっかり心を開いて深い部分で話そうとすると、行き違いが起こって、
お互いにあんまり気持ちよくない会話が成り立ってしまうのが、私の両親との距離感。
マインド講座を受けたり、小田桐アサギさんの魅力覚醒講座を妊娠中に受けたことで
だいぶ両親との心の距離感は快適になったんだけれど
私は親に対して特別な感情を他の人よりもどうしても抱いてしまう。
親だからこそ、心の底からわかり合いたいと思ってしまうし
苦しい時に自分の意見を否定されたり、
余裕がないときに、うっかり愚痴のような話を父親にしようものなら
「その甘い考えは良くない」とか
「この考え方では、社会ではやっていけないよ」とか
確かに正論ではあると思うんだけど
今、それ言われたくないなぁとか
説教が始まったり
「うわー、そうだった、本心で話すべきじゃない、相手だった」と思わされてしまい
「そういうことが言いたいんじゃないんだけどな、、」ととにかく伝わりにくい
きっと、私も親に対しての甘えがすごくあるし
ただわかってほしい。
同情してほしい。
と言う気持ちもあるのだと思う。
とは言え、余裕がない時に否定されると辛いもので
両親だからこそ、私のことをわかって欲しい、受け止めて欲しいと言う甘えがあるからこそ
他の人に否定されるよりも、はるかに大きなダメージを食らうことになる
私が思い出さなければいけないのが
「親もあくまで赤の他人」ということ。
親には無条件の愛情だったり、受け止めてもらうことを意識していないと忘れてしまいやすい。
忘れている状態で愚痴や、悩み、悲しい、大変といった話をすると
逆に話さないほうが気持ちが楽でいられることがある。
親だからといって子供のすべての悩みを同意し、同情できるわけではないし、
むしろ世代が違いすぎるので、理解し合えない事は多くて当たり前。
わかり合えなくて、当然なのだ😇
にもかかわらず、たった親だからと言う理由だけで、
自分自身への完全同意、
無条件の愛情、
無条件の理解、
何なら褒めて欲しいとまで思ってしまう始末。
困ったものです。。(自分に対して)
親だからといって、無条件の愛情を求めない、
無条件の理解を求めない
肯定してもらうことや褒めてもらうこと、応援してもらうことを求めない。
との心の姿勢を忘れて、うっかり話してしまうと
見事に世代間ギャップで、理解し合えず苦しむことになる😇
親しき仲にも礼儀あり
親であっても、日ごろから応援してこられることへの感謝や
ちょっとしたお礼
温かい言葉をかける
日ごろの行いが当然、他の人間関係と同じように必要なのだ
今日は、久々にそのことを忘れ
父親に初めての育児や将来の自分のキャリアプラン(特に男性に仕事や将来のキャリアプランなんて話さないほうがいい。
少しでも相談しようものなら、的確にアドバイスをしようとし、その当たり前すぎる正論が、逆に産後の女性にはキツイ。)
ただでさえ男性は、女性よりも育児やその大変さを理解する事は難しいし、
よっぽど保育や女性の体の仕組みについて詳しい人以外は、女性のホルモンバランスによる心への影響や、
感情への影響
育児の大変さなど、わかるわけがないのである
育児に限らず何でもそうだけれど、
知っているのと、体験したことがあるのとでは大きな溝がある。
知っているだけ では 実際に体験した人にはかなわない。
親と良好な関係を保つ事は、
自分の切り札が1つ増えるようなもので、
どの人間関係よりも
詰まるところ血のつながりや親子関係と言うのは、やっぱりどの人間関係よりも強いい。
人生にはいろいろな局面があって
自分の調子が良い時は何も心配することがないけれど、
大変なのは、人生には良い時もあれば、必ず悪い時も多く、
人は悪い時の事の方が強く覚えやすいし、負担を感じやすい。ネガティブな生き物。
だからこそ、
その自分が本当に行き詰まっている時や不調の時に強い人間関係を大切にしておく事はすごく重要で
だからこそ、親と言えど日ごろの行いや日ごろの感謝を伝える事はすごく重要。
そして何より
適度なお互いに快適な
自分自身にとって心地良い距離感をつかむことがすごく大事だと感じる。
どれだけマインド講座を受けて、マインド改革をしたり、自分自身を変えても
他人を変えることができない。
それは親であっても同じ。
人生を自分の思い通りに、出来る限り楽しく快適に過ごすには 自分が不調のときの切り札をたくさん持っておくことがすごく重要。
切り札と言うと聞こえが悪いかもしれないけれど、簡単に言うと自分のことを本当に助けてくれる人のつながりが多ければ多いほど、不調の時を楽に乗り越えられる。
逆に頼れる人がパートナーだけとか、頼れる人がいない(実際にはいるはずだけど、頭に思い浮かばない)だと
不調の時に一気に落ち込むことになる。
落ち込む深さが深ければ深いほど、治りも遅くなるし
人間関係と言うのは、1日や数日で作れるものではなく、投資のようなもので
長期的に作り上げていくものであり、
もっと厄介なのは
お金では買えないという点。
お金で愛情を買うことはできないし、
お金で人の信頼を買うことはできない。
親であろうと、自分の子供であろうと、親友であろうと、それは同じことで
小さなことの積み重ねで、人間関係はよくも悪くもなっていく
自分は親とはわかりあえない
親に認めてもらえる気がしない
大切にされている気がしない
理解し合えている気がしない、、、
だからといって、切り捨ててしまえば、人間関係は浅いものしか気づけないし
浅い関係と言うのは、自分が不調の時に頼ることができないもろいもの。
ちょっと合わないからと言って、人との関係を切り捨ててしまうのはすごく簡単で、
心が楽にその時はなるかもしれないが
それを続けていると、人生の本当の不調や大変な時に、自分の切り札が少ないことにその時に気づくことになる。
そうなると、かなり落ち込むことになるし、辛い。
何よりお金で買えない、素晴らしい体験や感情を逃すことになる可能性が高い
自分の人生を出来る限り楽しく、楽に幸せにするためにも
自分の切り札は多いほうが良い。
何より親との関係は、良好であることに越したことない。(なぜなら、他の人間関係より、自分自身に強良い影響を与えがちだから)
そのために必要なのは
些細な日ごろからの行い。
例えば感謝を伝えることや、
大好きだよとか愛を伝えること。
そこまで行くのが難しい場合は、まずは期待を捨てることと、適度な距離感はどこかを明確にしておくこと。
「親だから」と言う無意識に期待してしまう
わかってほしい。
共感してほしい。
ただ受け止めて欲しい。
褒めて欲しい。
認めて欲しい。 など
これらを一旦捨てること。
親もあくまで赤の他人で、世代間ギャップは思っている以上に激しくある。
生きてきた社会の背景も違うし、物価も違うし、使う言語ですら流行語なども違うのだから
感覚がずれるのは当然。
親だからといって分かり合える必要はなく、わかりあえなくて、当然だと思ったほうがいい
そして どこまで話すのか 心の境界線を決めておく。
もし、ありのままの自分で全てをさらけ出し、何を言われても傷つかない強靭なメンタルがお持ちの場合は、そんな境界線も全く必要ないのですが
そんな強靭なメンタルを持っている人は、少ない
親だからといって、心の領域すべてに土足で入ってきていいわけではないし
自分自身の心地よさや幸せは、自分で守るもの。
あやふやのままだと、あやふやに傷つき その人との人間関係を辞めたくなったり
無駄に心を閉ざして、苦しくなったり
一緒にいるのが嫌になったりすると切り札が減ってしまうし、何よりそれが親だと色々と辛いので
自分の領域を決めておく。
誰かに守ってもらうものではないし、自分の心地よさや幸せは誰かに与えてもらうものでもない
自分で決断し、行動で示し、作り上げていくものだと思う。
間違えたなぁと思えば、改善すればいいし
誰かを傷つけてしまったと思うなら謝れば良い。
犬のうんちを踏んでしまった! と思うなら、次から踏まないように気をつければいいだけ♪
人間関係の切り捨ては楽だけど、心の豊かさを失うことにつながりやすい。
他人を変えることはできないけれど、自分を変える事は自分でできる。
変わることができる人は、柔軟に対応できるようになり、
最終的にはどんな人ともうまくやっていけるようになる♪
なんでもかんでも、切り捨てるのではなく
自分のできる範囲で、やんわりと自分を変えていったり
同じ事実でも、自分の捉え方次第で幸せにもなるし、不幸にもなる。
結局、すべては自分次第。
次から犬のうんちを踏まないように気をつけようと思った日でした🤗
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