家事と家庭のことを考えるにあたって、最近読んだ本たち
家事についての本格的な専門書や研究書は実用書にくらべて少ない。それは家事が言葉でうまく説明しにくいからでもある。
「名前のない家事」という言葉が流行っている。でも、名もなきものだから家事であるともいえる。「名のある家事」はすでに仕事であって家事ではない。
……というようなことを考えるために、家の外からさまざまな概念をひっぱってくる必要がある。最近いくつか、家事や家庭の考察に役立った何冊かの本を読んだので、紹介します。
1『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書 』東畑開人
最近の自分の中ではエポックメイキング的な読書体験。この本を描いた東畑開人さんは、大学で臨床心理を学び、臨床心理士として沖縄のクリニックに赴任した。ところが本人が目指していた「セラピー」の業務ではなく、デイケア室にやってくる患者たちの「ケア」をメインの仕事とすることで、セラピーとケアの違いを体感する。その様子をエッセイ風に書いた……という体をとっているが、実はれっきとした学術書だ。
簡単に説明すると、セラピーは、相手の心に介入していって「治療する」という行為。一方で、ケアは、ただ相手に寄り添い「そこに居る」行為。ただそこに「居る」ことの辛さ、所在なさを、頭でっかちの若き心理療法士は体験する。生まれたての赤ん坊の面倒を見る母親と全く同じ心持ちだといえば、理解できる人もいるかもしれない。
この本を読み、家事というものの概念が180度変わった。これまで「名のつかない家事」と捉えていたものこそが、実は家事の正体であったと思った。名のない家事についての考察は、近々出る『生活考察』という雑誌のために書いたので、興味のある方は読んでほしい。
ケアについての理解をより深めるため、とくに「ケア」について著者が引用していた著者の本を一冊買ってひろい読みした。
2『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』宇田川元一
これも、家事とは少し離れたタイトルながら、家庭人にぜひ読んで欲しい一冊。
経営学者・宇田川元一先生のデビュー作で、組織の現場で起こる「わかりあえなさ」と、そこから起こる諸問題について考え、ひとつ上のレイヤーで問題を解く現実的な方法としての『対話』について書いてある。
「ナラティブ」というワードは宇田川先生のことを知ってから意識し始めた概念だけれど、もともと医療の現場で使われていた概念を企業などの組織論にかけ合わせたのが、画期的なところ。
ナラティブはその人の思考回路やバックボーンすべてを包括した「物語」であり、相手のナラティブに入り込み新しい関係性を組み直すことが、相手との溝を埋めるための作業だというのが宇田川先生の考えだ。
仕事の話でありながら、コミュニケーションに悩む人たち、つまりどんな人にとっても有用なところが素敵。家庭は(とくに夫婦で家事分担をするようになった現代家庭は)、最小限で非常にプリミティブな「組織」ともいえる。家庭で起こりうるコミュニケーションも、相手のナラティブを理解できるかどうかによって天と地ほど違いが出てくると思う。
この本について語り始めると一晩かかるので、ここでは紹介にとどめておく。
3『女と文明』梅棹忠夫
梅棹忠夫先生の女性と家事論。1988年初版だが、この本の中心的な章は「妻無用論」というタイトルの論文で、1959年(昭和34年)に『婦人公論』に発表されている。私の生まれるより前の時代に、梅棹先生はこんなことを言っちゃうのである。
ひとはすぐ、日本の家庭における家事労働の雑多さ、はげしさをいうけれど、わたしは、そのなかのおおくのものは、生活の必要からやむをえずおこなわれているというよりは、主婦に労働の場を提供するためにつくられた、発明品ではないかと解釈している。それは、主婦が主婦権を確立するために必要だったのである。
そして「妻であることをやめよ」などと言って、当時の社会状況からして女性たちから大ブーイングを受けた。現代ならよく言ってくれたとやんやの喝采だろうから、やはり時代背景というものは無視できない。学者ならではの空気読めない感が面白い。
いやでも、すべてが納得できる内容ではないとしても、家庭の文化が進めば進むほど専門化しはじめ専門業者が現れるというような考察など、先ほど紹介したケアの話と組み合わせて読むと、感慨深い。
家事を考察する人の視野は狭い(あるいは狭くなる)。家事の性質上かもしれないけれど、時代や地理など、時間空間の少し広いところから見る、家事に従事していない人のフラットな目線で家事を見るということも大事だと思う。
4『食卓が楽しい住まい』川崎衿子・大井絢子
これ、ミングルをつくったときに必要な部分を拾って読んでいたのを、もう少しちゃんと読んでみたらすごく良い本だった。
キッチンと家庭のキッチンにおいて考えないといけないことが網羅されていて、また時代考察、主婦や家族の精神的な部分の考察もされていて、ある程度、的を射た内容になっている。若干古くはあるけれど、近代キッチンの歴史を学ぶ教科書的な一冊。
対面型キッチンは民主的な家族のための民主的なキッチンスタイルのはずである。しかし、うがった見方をすると、つくる人と食べる人をはっきりと分け、役割分担を固定化する働きをしているようにもみえる。
97年当時に新しかった対面キッチンの弱点を突いていると思う。
今年の春、リクシルギャラリーで開かれていた『台所見聞録~人と暮らしの万華鏡』という展示に合わせて作られたブックレットと合わせて読むとよりキッチンへの理解が深まった。
5『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。』梅田悟司
話題の本を読む。男性だからか、家事をやりつつも家事に対するクリティカルな視点がある。自分もこういうことをやるべきなのだろうと思いつつ、頭まで名もなき家事に浸かっているのだろう、どうも笑い飛ばすところまでいきつけない。でも面白かったので紹介。
梅田さんがこの本を書いた背景がネットの記事になっていたのに興味をひかれたので新しいカテイカのマガジンに貼り付けておいた。
今回は家事を考えるのに役立った本という切り口での選書。本を読んでいて、家事や家庭そのものにピンを当てたものよりも、そうではないところに家庭のモンダイを解くヒントが隠されていると思う。
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ここからは知人の出した本の中から、家庭や家事に絡むものを紹介。たまたまですが、3人ともnoteで積極的に発信している。
6『母と娘はなぜ対立するのか』阿古真理
新しいカテイカを一緒にやっている阿古真理さんの最新刊。タイトルが示す通り、あまり良い関係を築けなかった母と娘の話で、阿古さんの実体験もかなりしっかり描かれている。
阿古さんには直接言ったのだけれど、たとえばドラマや漫画などから読み解く家事や女性論みたいなトピックスなどは、メインテーマからすると、ちょっと広げすぎている感じもした。(でも阿古さんはそこは織り込み済みということだったのでそれはそれでいいのだろう)
彼女の母親との関係や、そこからくる娘の苦しみがすごく重量感を持って伝わってきて、読みごたえがあった。阿古さんの文体とも合っている。その話に絞って体重を乗せるような書き方をしたものも、読んでみたいなと思った。
7『それでも、母になる 生理のない私に子どもができて考えた家族のこと』徳 瑠理香
おととしのnoteフェスだったかに出たときに、会場に赤ちゃんを連れたふんわりと可愛らしい女性がいた。それがnoteのクリエイターズ・ファイルを書いてる徳 瑠理香さんだと知ったのはその後だった。彼女の書く文章はわかりやすくあたたかみがあって、好ましかった。
そんな徳さんがさまざまな家族の形、家庭の形にスポットを当てたインタビュー記事をまとめた一冊。取材はとても丁寧なもので、読んでいて人物像や経緯がすごくリアルに立ち上がる。
家族の物語は一組ごとに違う。すごく違う。でも細かな感情の揺れや底知れない心の闇、そこに現れる個性あるグラデーションは、大きな声を出したりキャッチーなレッテルをつけることでは見えなくなってしまう。こうして一言ずつを拾い集めて編み直し、誰かが発信することでしか伝わらないものがある。
「生理がない」自分に子どもが宿ったという、少し特殊な著者自身の経験が、相手の境遇に関わらずフラットな関係性を持つことにプラスに働いておられるのかなと思った。
8『子育てとばして介護かよ』島影真奈美
島影真奈美さんは、ベテランのライターだ。少し前に、大学で「老年学」という珍しい学問を学んでおられたが、その最中に義理の両親が認知症となって、リアル介護に突入。noteの『別居嫁介護日記』にまとめられていて、面白いなーと呼んでいたのが、ついに書籍化した。ややもすれば重くなりがちな話だけれど、文章が軽快で、研究者としてのクールな観察眼と、現場のドタバタぶりのギャップがすごく面白い。
介護というのは、いかに笑い飛ばせるかということ結構大事だなと思う。つまりそれは自分を対象化できるということ。これは育児や家事についてもきっといえるんだろうな。
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3人とも、自身の実体験や、実体験の取材から本を着想しているところに共通点がある。つまり、このnoteの前半で紹介した本とは対照的な位置にあるといえる。
いま、家事を構造的にとらえ直すことが求められているけれど、暮らしの中にいる人々をよく観察することは大事。人は思っているよりいいかげんで、適当で、はみだすものだ。そのことをねじまげずに受けとめ、例外としてしまわない態度を持ちたい。
さて、めずらしくブックレビューなどしてみましたが、いかがでしたか。家事について考察できそうな本、ぜひお教えください。