50話の考察(本誌・ネタバレ有)

(2022.12.22 20:09更新)

百目鬼の最後のセリフ

「俺が犯せば満足ですか」
というのは裏返すと、百目鬼が矢代を犯さないので満足できずに城戸のところへ来たのか、と聞いていることになる。

つまり百目鬼は矢代が他でもない「俺」を求めていることを明確に解っていることになる。

問題なのは「俺」を欲しがっているという認識は正しいが、矢代が百目鬼に求めているものは「犯す」ことではないことに気づいていないという点。

矢代にとって「犯される」という行為はすでに快楽でない。にも関わらず、百目鬼の認識ではまだそこから抜け出せておらず、矢代が自分を欲しがったとしてもそれは快楽への依存でしかないと思っている。

ただ、矢代が百目鬼に犯されたいのではなく、以前のように優しい接し方を望んでいることも薄らと勘づいており、それを試すようなこともするが※矢代の天邪鬼がそれをはぐらかすため、結局は依存の範囲かと諦めている。あるいは素直になれない矢代に苛立ちを感じている。

※「なぜ俺だと拒むんですか」「それとも優しくされたいんですか」は、百目鬼には優しくされたい、という矢代の本心を誘導しているように見える。

ポイント
百目鬼は矢代が自分に少なからず思いがあること、自分と寝たがっているということを解っている。

百目鬼は何に怒りを感じているのか

百目鬼は昨晩の行為は「犯す」ではないと思っている。百目鬼にとって「犯す」とは「性欲の対象として物のように扱い、挿入すること」であり、矢代は過去の経験による精神的ダメージから自らを守るため、心の奥底で嫌悪しつつもそれを快楽に置き換え、依存していると百目鬼は思っている。

自分は「性欲の対象」として矢代を抱いてしまった故に捨てれられてしまった。だからその線を超えずに矢代にのみ快楽を与え、満足させられればそれでいいと百目鬼は思っている。満足しなくても、少なくとも自分がそばにいる間は「それで我慢しろ」と言っている。

自分は矢代を自らの性欲の対象として扱わない。脱がないし、キスもしないし、当然挿入もしない。だから昨晩の自分は矢代を「犯して」はいない。NOと言われたとしても、冷たく物のように扱ったとしても、それは矢代が望む快楽を与えたに過ぎない。

例えそれが自分の本心に反したとしても。

にも関わらず、矢代は自分が「犯さなかった」ために満足しなかった。自分(百目鬼)に性欲の対象にされたから捨てたくせに、今ここで再び自分にそれを求めてくる。そしてそれに応えないからといって、昔自分を散々犯した男(城戸)のところへ性懲りも無く自分から向かう。そんな矢代に百目鬼は激しい怒りを抑えられない。

百目鬼は矢代に「変わって」いて欲しかった。自分を捨てたとしても、「愛する相手と一度でも寝た」ことによって、自暴自棄な依存から、「誰とでも寝る」行為から、脱却していて欲しかった。でも変わっていなかった、24,25話での自分の行為はただ矢代を傷つけただけだった。そういう失望と悲しみ、それに伴う怒りが、百目鬼をより一層冷酷な言動へと向かわせている。

続く(あるいは込められた)言葉があるとすれば

「いったいどこまで残酷で自分勝手なんですか、あなたは!」
か。そしてそれに対する矢代の言葉は、今まで通りならば本心と真逆のことを言うだろう。

城戸の役割

惚れた男に拒絶されて「容易く傷ついた」(1巻のセリフ)矢代は、百目鬼に出会わなかったころの自分、強気でいられた自分に戻りたいと強く思った。

壊れた鎧をもう一度着て、自分を保ちたかった。そういう意味で、城戸は絶好の逃げ場だった。

城戸から引き剥がされた矢代が見たもの

強制的に闇から引き摺り出してくれる「誰か」を、矢代はずっと待っていた。顔が見えないのは、百目鬼に限らずそういう「誰か」を求めていた、という現れ。

そしてその「誰か」は百目鬼だと心のどこかで期待していた。平田との争いで一度は諦めたが、闇の向こうの光の中から百目鬼が救ってくれるという期待を捨てきれなかった。

今回そうなったかと思ったら「犯せばいいのか」と言われた。

※顔が見えない、と言う点に関しては7巻からの伏線でもあり、はちふみさん考察の「罪悪感で顔が見れない、意図的に思い出すことを封印している」もあると思うので、ここについてはまだ今後深掘りしたい。

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