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いま思い描く、晩年のある夏の一日は?(藤村公洋)

いまこの時が晩年かもしれない

もし僕がもうすぐ死ぬとしたらいまこの瞬間こそ晩年真っ只中であり、ウィキ的には「晩年は豊島区高松の庭付きアパートで猫と暮らし、コロナ禍であったため赤いベスパで馴染みの喫茶店に行く意外は引きこもりのような生活を送る。高松商店街で買う食材と庭で育てた野菜を使った日々の料理をSNSにアップすること、そして趣味の自撮りだけが生きがいであった」とでもなるのだろう。

今回小原くんと僕が試聴した’18年6月6日放送「渋谷のラジオの学校」アーカイブ音源は、画家熊谷守一の最晩年にあたる’74年夏のある1日を描く作品『モリのいる場所』での映画メシ企画でした。舞台は豊島区千早。現在は熊谷守一美術館となっている庭つき一軒家から20年もの間外出しなかったというモリ爺の起きてから寝るまでを綴る99分。日がな一日虫や草木をジーっくりと観察するモリのペースで時間はゆーっくり進む。体感的にそろそろ上映時間半分くらいかなって段階でまだ昼ごはんにもなっていないっていうね。って聞くと静かで退屈な映画かって思うでしょ。全然そんなことない。日常というワンダーランドは波乱万丈。基本コメディだし、軽くSFでもある。ご飯シーンもたっぷりあるから映画メシ的には豊作だ。それにしても、まったく出かけない夫のために朝食、昼食、夕食&おやつを20年ものあいだ用意し続けるのは大変だよな、と食事担当の僕としてはモリ爺にたまの外食を勧めたくもなる。

75歳。設定としてはちょうどいい

父にとっての晩年とは、母が他界し独り暮らしを始めた75歳から79歳で亡くなるまでの3年10ヶ月といっていいだろう。

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