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一日懸命

おはようございます。

きょうも書いていきます。

このnoteをはじめてから一日の過ごし方が少しずつ変わってゆき、今は前日にどれだけインプットで頭を満たして眠れるかが、大事になってきた。

思案で腹一杯、と言うべきか。それはどの分野の情報でも構わないのだが、過剰とまではいかずとも、たくさん摂取しておくに越したことはない。

考えてみるとこれは、仕事でも代替できる。とにかく一日のなかで、自分の血肉になりそうなものを探し求めるのだ。翌日になんとか昇華させてやるという気持ちで、その日一日を過ごしてみる。

なんとなく日々を過ごしてしまうと、似たような毎日を繰り返してしまう。気づくと、同じような月曜を迎え、同じような人と、同じようなことを話している。

だが、何か一つ外に出す場所を持っていると、同じような日を過ごしては、すぐに自分の中のものが尽きてしまうことに気がつく。そこで初めて必死になり、道に落ちているものを拾いはじめる。

なにかをアウトプットするという前提はあらためてよいことだと思う。外に出してみなければ、中に何が入っているのかも、実はわからないのだ。

子どもがリュックに落ち葉を詰めるようなもので、夢中になって詰めて家に持ち帰ると、そこに虫がまぎれていたりして人を驚かせる。その驚きが、その場では感情になり、やがて記憶になる。

インプットは狙えない。狙いにいけるほど定まってもいないし、都合よく落ちていたりもしない。獲物は捕まえようとするほど、逃げていってしまう。だから、リュック一杯に詰めこむしかない。まぎれていることを信じて。

僕はそれが、一生懸命ということなのだと感じる。一日を同じような日では終わらせない。次の日のために必死になって拾い集めるのが、懸命に生きるということだ。

つらいかと聞かれたら、たまにはそうかもしれないが、そんなもんだろう。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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吉澤 馨
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