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それでもなお〈トラブル〉を引き受け直すこと、あるいは「出会い」を到来させるために――藤高和輝『〈トラブル〉としてのフェミニズム』
たしかに生は、己の与り知らないトラブルに直面し巻き込まれ続ける混乱の過程である。しかし、己の与り知らないトラブルを、それでもなお己の身において〈トラブル=とり乱し〉として引き受け直すとき、生は、新たな〈トラブル=問い〉を創造することを繰り返す予見不可能な過程となる。 藤高和輝の新著『〈トラブル〉としてのフェミニズム――「とり乱させない抑圧」に抗して』は、ジュディス・バトラーと田中美津から受け継いだ〈トラブル=とり乱し〉というキーワードを、身体的かつ倫理的な概念として描出す